十六
「銀の鞍」から、よし子が消えた。
一方、よう子は新しく自動車を買い替えた。そのことを、ゆみ子はバーテンの木岡から告げられた。閉店後、木岡が近くの喫茶店へゆみ子を誘ったときのことである。ゆみ子も、木岡と話し合ってみたい気持になっていた。
「木岡さんの予言のとおりになってしまったわね」
「予言というほどのものではないさ。分りきったことだ。よし子にだって普段は分っていることなんだが、分りきったことが分らなくなってしまう」
軽く受流す口調だが、得意さが顔にあらわれた。
「あたし、自分のことみたいに疲れてしまったわ」
「それでいいんだ。そうやって、いろいろのことが分ってくる。もっとも、おれが予言者のようにみえるのでは、まだまだ駄目だが……。きみは、気が付いているのかな。新しい客が店にくると、かならずおれの顔色を窺う癖があるよ」
「分っているわ。どういう客か分る手がかりが欲しいのだもの」
「しかし、無駄だよ。おれは滅多に顔色には出さないのだから」
「癖になってしまったのよ。……でも、木岡さんは舞台監督のようなものだから」
「おれが舞台監督であるものか」
「でも、すくなくとも、よう子さんにとっての舞台監督じゃなくって」
「そうかね」
木岡の顔に、自嘲の色がかすめた。以前にも、これと同じことがあった。その自嘲の色は何だろう。よう子に時折かかってくる電話のことを、ゆみ子は考えていた。木岡が適当な男を選びよう子と引合せている、とゆみ子はその電話を解釈していた。木岡がよう子を操作しているとみて、舞台監督と呼んでみたのだが……。ポン引の役目を、体裁のよい言葉で言い替えられた、と木岡は感じたのだろう。
「よう子のことだが、きみの家へ迎えにきたか」
「迎えに。以前に一度そんなことがあったけど」
「二、三日のうちに、きっと迎えに行く筈だ。ピカピカの自動車を運転して」
「買い替えたの」
「そうだ」
「見せたいわけね。よう子さんて、自分を虐《いじ》める趣味があるのかしら」
「何だって」
「道楽でバーに勤めているお嬢さんなんて無いでしょう。といって、新車を乗りまわせるほど儲かる商売でもないわ。結局、男の金で買った車ということになるけれど、ただで車を買ってくれる男なんていないもの」
木岡は黙ってゆみ子の顔を見詰めていたが、やがて口を開いた。
「そういう神経をもっていると、苦労が多いよ。そのシロウトくささが魅力ともいえるが……。パトロンを見付けて、たくさん金を出させることは、手柄なんだ。新しい自動車は、大きな勲章をぶら下げているのと同じなんだよ」
「よう子さんにそんなパトロンがいるの」
木岡は、曖昧な顔をしている。
「木岡さんの神経もあんまり丈夫じゃないとおもうわ」
「なぜ」
「だって、よう子さんの舞台監督をしていることは、木岡さんの考え方でいえば、自慢していい筈だわ」
木岡は苦笑して、
「きみは、ひとの顔色をみるのが上手なんだな。しかし、それは違うんだ、きみの考え違いさ」
「違うかしら、よう子さんにかかってくる電話、怪しいとおもうわ。それに、この前言っていたじゃないの。よう子の理屈はみんな自分がつくってやったものだ、って」
「それは、そのとおりだ。だが、やはり違うんだな」
木岡は口を噤んだ。ふたたび自嘲の色がかすめ去った。