二十三
「銀の鞍」に着き、仕度を整えて店に出たゆみ子は、女たちと客のいる情景が以前と違って眼に映ってくるのに気付いた。
ここでもまた、ゆみ子の周囲に拡がる景色が、違ってきたのだ。
空気が奇妙な具合に透明にみえる。澄んでいる、というのとは違う。疲れきったとき、耳の奥で透きとおったかぼそい音が鳴りはじめるような透明さである。
そして、その空気の中で人間たちは半透明の躯をして坐っている。躯の中のからくりが、朧ろげに透視できる心持に、ゆみ子は、捉えられた。
よう子は、なめし皮のように頑丈に光った顔の男の傍に坐っている。有名な金持の男である。よう子の上半身が頼りなげに揺れ、男の肩に倒れかかるように触れた。その細身の躯は、その男の腕に掴まれたとしたら折れそうにみえる。
そのよう子の躯にはしなやかで強靱な細胞が詰っていることを、ゆみ子は前から感じ取っていた。それは、したたかな、よく撓《しな》う躯である。この夜のゆみ子の眼には、もっとさまざまな形が映ってくる。ゆみ子は、よう子の裸を知らない。だが、胸のあたりから腹にかけての拡がりが、脳裏に浮び上ってくる。白くなめらかなその部分は、興奮すると薄桃色に染まり、膨れ上った静脈の枝が青い模様を描き出している。
「本当に、よう子の裸はそうなるのかしら」
ゆみ子は、自分に問いかける。
しかし、その青い模様はゆみ子の眼から去らない。噎《む》せるほどの女のにおいを放つ、薄桃色の拡がりである。それは、荒々しい男の力を招き寄せないで済む筈がない。その拡がりに打当って、鈍い肉の音をひびかせる男の掌。青い網のあいだに烈しく喰い込む男の五本の指先。その五本の指先は、その部分から離れようとするときには、肉をつかみ取ろうとするかのように、一層深く折れ曲る。
よう子の眼が、ガラスの眼になり、呻き声が洩れる。しかし、その苦痛の声には十分に快感が滲み込んでいる。
よう子は、強姦によって処女を奪われたのではあるまいか。あるいは、輪姦によって。
半透明のよう子の躯から、ゆみ子はつぎつぎとよう子という女についての答を引出してきた。その答が正しいかどうかの確証は無い。しかし、それらの答が微妙に重なり合う部分があり、そこからゆみ子は、はっきりした一つの答を引出した。
「よう子には、ヒモがいる……」
その答は、前の夜、油谷の出したものだ。そして今、ゆみ子は確信をもって、その答を正しいとおもい、その答を基にしてさらに考えを進めてゆく。
ヒモといっても、いわゆるチンピラではない。外見は、歴《れつき》とした青年紳士か中年の紳士にちがいない。すくなくとも、バーテンの木岡に圧力をかけ得る男である。したがって、ヒモというよりよう子の夫と呼んだ方がふさわしいかもしれぬ。
「銀の鞍」は、よう子にとって収入を得る場所には違いないが、むしろ待機の場所、あるいは獲物を漁る場所といえる。よう子は鵜であり、男は鵜匠である。男は場所を設定してそこに魚を泳がせ、よう子をその場所に投げる。よう子が魚を咥《くわ》えると、頸のまわりの縄を男は手繰り寄せ、獲物を吐き出させる。獲物といっても、男は恐喝という手段を使うわけではないだろう。それは上策といえず、長続きしない。もっと紳士的な、だがきわめて高価な取引がおこなわれるのだろう。相手によっては、ひそかな圧迫が加えられるかもしれない。美人局《つつもたせ》や恐喝のあきらかな形を取らぬ圧力が、一層多額の金を手に入れるために加えられることもあるだろう。
目立たぬように木岡が取次ぐ電話は、よう子のその夜の相手からのものか、とゆみ子は以前は考えていた。しかし、木岡の受ける電話の相手は、いつも同じ男にちがいあるまい。木岡は、電話を取次ぐことで報酬を得ている。あるいは、木岡とその男とは、一つの組織の中にいるのかもしれない。もちろん、木岡の方が下級の者である。
指令を発し、よう子を操作しているのは、電話の男である。
メッセンジャー・ボーイみたいなもの、というよう子の言葉に嘘はないし、木岡を舞台監督にたとえたとき、自嘲の影が射したのも無理はない。