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技巧的生活26
日期:2018-12-06 22:13  点击:286
    二十六
 
 
 翌日の夜、油谷は同年輩の男を伴って「銀の鞍」にあらわれた。二人の男は、それぞれ小型のボストン・バッグを一つ、手に持っている。
 油谷の気配とるみの気配を窺いながら、ゆみ子は彼に訊ねた。
「飛行場からそのまま銀座へいらしたのね」
「そういうわけだ」
「どうして、外国へいらっしゃることを、教えてくださらなかったの」
「言わなかったかな」
「ええ」
「おれたちのような商売だと、海外出張はべつに取立てていうほどのことではないからな。いちいち報告して歩くものでもないさ」
「でも……」
 そのとき、マダムが席にきて、油谷の連れの男に声をかけた。
「灰山さん、いったいどうなさっていたの。ずいぶん長いあいだ、お顔を見なかったようだけど」
 灰山と呼ばれた男は、口を開きかけたが言葉が出ず、せわしなく瞬きした。油谷が、替りに答えた。
「こいつは、恋愛問題がこじれてね。なにせ妻子がいるので、話が厄介になった」
「そういえば、憔悴してみえるわ」
 と、マダムが半ばからかいの口調で言う。
「旅行の疲れだよ。油谷と一緒だったんだ」
「そうだ、君。やはり帰ってきたことを報らせてあげたほうがいいよ」
 油谷の口振りで、報らせる相手は灰山の恋人と分った。しかし、灰山は生返事したまま、立上ろうとしない。
「お大事に……」
 マダムは、愛嬌のよい笑顔をみせて、他の席に移ってゆき、入れ替りにるみがきた。るみは油谷には眼だけで挨拶を送り、
「あら灰山さん、お久しぶり。ごたごたは、すこしは収まりまして」
「惚れているんだから、収まりにくいわけだ」
 と油谷は言い、もう一度、灰山を促した。
「君、電話をかけておけよ」
「しかし、呼び出し電話なので、頼むのが気が重いんだ」
「厭がるのか」
「そういうことはないんだが」
「あたしが、かけてあげましょうか」
「そうだ、るみに頼むといい」
 灰山が曖昧にうなずき、るみが立上った。彼は落着きなく、上着のポケットを探りはじめた。るみが戻ってこないうちに、と、ゆみ子は油谷に言った。
「でも、るみちゃんは知っていたわ」
「え、何のこと」
「油谷さんがパリに行って、今日帰っていらっしゃるということ」
「そうかな。それじゃ、何かの話のついでに、そんな話が出たのだろう」
 油谷はさりげなく答えてから、ゆみ子を見詰めている顔を不意に崩すと、
「なにかヤキモチを焼かれているような気分だがね」
 その言葉で、ゆみ子は内心狼狽した。油谷は言葉をつづけて、
「そんなことより、灰山の煙草が切れたらしいよ。持ってきてあげなさい」
 席を立って、ゆみ子はカウンターの隅に、煙草を取りにいった。電話機はその場所に置かれていて、送話器におくりこむるみの声が聞えた。丁度、呼び出された相手が応答したところのようで、
「もしもし、奥さまですか」
 と、るみは言っている。相手が曖昧な返事をしたらしく、
「灰山さんからのお電話ですが、奥さまですね」
 執拗に、るみはもう一度繰返した。
「奥さまですわね」
 ようやく電話機を離れたるみは、灰山に合図を送った。ゆみ子は、いまのるみの言葉の意味を考えていた。「奥さま」と呼ばれる立場にいないで、そう呼ばれるようになりたいと熱望している女性にたいする、サービスの言葉と考えたらよいのだろうか。それにしては、るみの言葉は、執拗に繰返され過ぎたとおもえる。
 むしろ、その女性の熱望にたいする嫌がらせとからかいのようにおもえた。ただ、安全な場所にいる人間のからかいと嫌がらせにしては、その執拗さには陰にこもったところがある。るみ自身にもその熱望があって、相手をいじめることによって、自分も自虐の陰気な快感をぬすみとっている……、と考えるのが納得できる答のようだ。
 そうすると、るみは誰の妻になることを熱望しているのだろう。灰山か、油谷か、それともまったく別の誰かか。
 灰山の電話は、いつまでも終らない。

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