三十一
女ばかりの宴会は、一種異様な眺めである。一人だけの男の木岡は、宿の丹前を着て坐っている。その姿が、いつになく見窄《みすぼ》らしくみえた。職場のカウンターの中に立って、眼を店の中に配っているときの木岡とは、別人のようである。
宴席は乱れ、愚痴っぽくなって泣く女や、狂気染みた笑い声をたてる女があらわれるころ、散会となった。ゆみ子とるみとなな子と雪子の四人が部屋に引上げてきてからも、酔いと感情の昂ぶりはつづいていた。
雪子の頸に腕をまわしたなな子が、その唇に唇を寄せてゆく。なな子の胸に、雪子はやわらかくした躯を粘り付けようとする形で寄り添い、唇を差し出す。
「なによ、いやらしい」
るみが言い、なな子は唇を離して、言い返した。
「あんたたちも、同じようにすればいいじゃないの」
その言葉で、おもわずゆみ子とるみは眼を見合せた。そのとき、はっきりと油谷という男の存在が、るみとの間に置かれたことを、ゆみ子は感じた。しかし、油谷とるみとの繋りの形については、依然として分っていない。
「ゆみちゃんとは、そんな関係じゃないのよ」
「それじゃ、どんな関係なのさ」
なな子が問い返す。その返事は、ゆみ子も知りたい。しかし、るみは黙ったままである。なな子は言葉をつづけた。
「この子は、あたしが女にしてやったのだから」
雪子の浴衣の胸に置かれたなな子の掌に、力がこもったのが分り、雪子は頭をうしろに倒し、顎の下の白い皮膚をあらわにすると、軽く呻いた。見物人の眼を意識している動作であり、馴れ合いの芝居のようにもみえ、ゆみ子が苛立ちを覚えたとき、るみが言葉を投げかけた。
「なな子、気の毒ね。いつも女の子ばかり追いまわして。いい加減で倦きてもよさそうなものだけど」
なな子は、黙ってるみを見た。暗い眼である。るみは、言葉をつづけ、その言葉の奥に深い酔いが感じられた。
「でも、なな子のせいじゃないから、仕方がないけど。あんたを最初にひどい目にあわせた男がいけないのだものね」
るみは、具体的な事実を知っての上で言っている気配である。やはり、なな子の躯の中には、黒い傷痕があった、とゆみ子はおもい、いつも黒い血を滲ませて乾ききらぬ傷痕が眼に浮ぶ。
るみの言葉が、続く。
「気の毒ね。なな子、不感症なんでしょう。だから、そんな変態……」
その言葉が終らないうちに、雪子の躯を離したなな子が、るみに襲いかかった。なな子の手は、はっきりした目標を持って動き、るみの浴衣の両襟を掴むと、大きく左右に引きひろげた。
ゆみ子は、はげしく瞬いた。
眼に映っている裸の胸が、雪子のものである錯覚が起った。露わになった二つの乳房の上に、赤紫色のなまなましい痣がくっきりと印されてあった。
「あんたこそ変態じゃないの。知っているんだから」
知っている、という言葉に、ゆみ子は躓いた。山を登って行く電車の中で、るみと自分とを見比べていたなな子の眼を、鮮かに思い浮べて、ゆみ子は口を挿んだ。
「でも、わたしじゃなくてよ」
その痣が、歯によるものか、指先によるものか見定めが付かないが、るみの乳房に加えられた力は油谷のものであることを、ゆみ子は疑わなかった。油谷と並んで入った宿屋の上に掲げられたネオンの赤紫色を、ゆみ子は思い浮べ、宿屋の部屋での彼の話を思い起した。
どんな恰好でもする、と彼はよう子のことを言ったが、それはるみについても同じなのだろう。そして、できるだけ醜い恰好に歪んだ躯にたいしてでなくては、油谷の躯は不能なのではあるまいか。
「ゆみちゃんじゃないなら、誰なの」
なな子が問い返し、ゆみ子は庇《かば》う気持で答えた。
「誰でもいいじゃないの。それに、雪子さんだって、同じじゃなくって」
浴衣の襟を掻き合せるように着ている雪子の頸の皮膚に視線を当てて、ゆみ子は言う。
「同じ……、それ、どういう意味」
「同じように、痣が……」
「痣ですって」
なな子は、即座に雪子の襟に手を伸ばした。腕を交叉させて胸をかばう雪子の恰好に、ゆみ子はまたしても馴れ合いの芝居を見る苛立たしさを覚えた。
雪子の胸が、大きく開かれた。眩ゆいほど白いひろがりには、わずかの汚染《し み》さえ見当らない。形よく隆起している乳房、その尖の薄桃色の乳暈《にゆううん》。その美しさが、ゆみ子の勘違いを皮肉っているように眼に映ってきた。
ゆみ子は、貼り付いた視線を、雪子の胸から剥がし、るみを振返った。るみの胸は、すでに浴衣で覆われており、ゆみ子はやや冷静さを取戻して、なな子に問いかけた。
「わたし、勘違いしていたのかしら」
「そうよ」
「でも、雪子さんの胸のことは間違って考えていたことは分ったけど、あなたたち二人の関係については、勘違いしていないとおもうわ」
「…………」
「ただ、雪子さんの胸に痣がなかっただけのことだわ」
なな子は、黙ってゆみ子を見詰め、その視線をるみに移すと、意地の悪い調子で言った。
「ゆみちゃんの言うとおりだわ。ただ、痣を付けなかっただけのことよ。雪ちゃんの胸は、痣があるには綺麗すぎて、もったいないわ。るみのように、にくにくしいくらい大きく膨らんだ胸には、痣がよく似合うのよ」
このときも、ゆみ子はるみに味方して、反駁した。
「綺麗すぎるものは、汚したくなるということもあってよ」
るみは黙ったままだ。振返って、その眼を見たゆみ子は、一瞬、異様な感じに襲われた。るみの眼は、宙に浮いている。鋭い刃物で傷を受けた瞬間のような眼だ。しかし、その眼には光がある。外側へ向って反撥してゆく光ではなく、内側に漂っている光である。その漂う光は、隠微な快感を偸《ぬす》み取っているようにみえた。
その眼が、るみの秘密を語り、るみと油谷との関係を語っている、とゆみ子は確信にちかい気持をもった。
油谷との会話を、ゆみ子は反芻してみた。
「油谷さん、るみちゃんとは……」
「るみか、あれは気にしないでいいんだ」
「気にしないでいいって」
「るみとはいつも友好関係が崩れないで済むようになっている。今夜こうやって、きみと一緒に出てきても、一向にかまわない」
思い返してみると、油谷がゆみ子を誘うときには、かならずるみがその席にいた。関係の深い男が、他の女を誘うところにいることが、るみにひそかな快感を与えるにちがいない。
しかし、それならば、自分はるみと油谷にとって刺戟剤に過ぎないのだろうか。それとも、油谷にとって、自分は何者かであるのか。いや、そんなことより、油谷は自分にとって何者なのだろう……。
ゆみ子の考えは乱れ、揺れ動く。