三十三
波津子という女についての話題が、次のような形を取る場合もあった。更衣室で、よう子が不在のときの女だけの会話である。女たちの一人が言った。
「その波津子というひと、よう子さんとそっくりだとおもわなくて」
「あたしも、そうおもっていたの。名前を伏せて、その話を聞いたとしたら、よう子さんのことだと信じてしまうわ」
「延《のべ》人員七十数名か」
「あら、延ではなくて、七十数種類よ」
「種類ねえ、そういえば、そうもいえるわけか。そして、さしずめ木岡さんは、幹部の手先といったところだわね」
……その会話が、よう子の耳に入った。直接よう子の耳に入ったのではないことは確かだが、告げ口が木岡を経由して伝わったものか、木岡が立ち聞きしていたのか、あるいは女たちの誰かがよう子に伝えたのか、その点ははっきりしない。いずれにしても、よう子はその会話の内容を知った。それは、翌日更衣室で、突然よう子が強い語調で言い出したことによって分った。
そのときのよう子は、平素と同じにあまり感情を露わにしない顔つきだった。しかし、小鼻がふくらんで鼻の穴が目立ち、鼻腔の中の毛がぜんぶ逆立っているような険悪さを感じさせた。
「波津子さんは、徹底していて立派だとおもうわ。あたしたちのいる場所にくる男たちは、みんな機械を見る眼で、あたしたちを眺めているのよ。だから、男を機械並みに取扱ってやるのが当然だわ。金を吐き出す機械ね。波津子さんくらい吐き出させれば、本望じゃなくって」
よう子の言葉は、筋が通っているのかもしれないが……、とゆみ子がおもったとき、雪子の声がした。
「でも、警察に連れて行かれるのじゃ厭だわ」
「罪になるわけじゃないということを、知らないの。法律は禁止しているけれど、罰のきまりはないのよ。いえ、法律なんていうことよりも、あたしだったら、警察に連れて行かれたあとでも、顔をまっすぐ前に向けて街を歩くことができるわ」
「よう子さん、警察に呼び出される心配があるみたいな口ぶりね」
るみが、陰にこもった口調で言った。
「仮に、の話よ」
「そうかしら」
「絡むじゃないの。あんただって同じじゃなくって。あんたみたいに手数のかかる恰好で、男とつき合わないだけの話よ」
「なによ、あんただってみっともない恰好をするくせに」
「あたしは、女になるだけのことよ。あんたみたいな変態じゃないわ」
睨み合っている二人の女を見て、ゆみ子はそこに油谷の存在を感じた。おそらく、よう子にとっては、油谷は沢山の男のなかの一人、すでに忘れかかっている存在だろう。その油谷が、言い争いのうちに、不意にるみを攻撃する材料として甦ってきたのだろう。たしかに、油谷にたいしてよう子は「女になっただけのこと」だったとおもわれる。
「どこまでも女になれる相手からは、結局、男はしたたかさを感じ取るものさ……」
というよう子についての油谷の言葉を、ゆみ子は思い浮べた。そして、強く掴んでも骨を感じさせないようなよう子の躯がこの上なく強靱なものとして眼に映り、その強靱さにふと羨望を覚えた。
ゆみ子は、皮膚に粘りついてくる男たちの眼を、なまなましく思い浮べる。よう子ならば、男たちのその視線を手応えなく海綿のように吸い込ませ、あるいは隆く胸を反らせて弾き返すことができる。しかし自分は……、とゆみ子はそのとき油谷の影像を引寄せて楯として禦《ふせ》いだことを、思い浮べていた。