2 生牡蠣(なまがき)
「飲んでます、飲んでます、オサベさんが水割りをもう七杯も飲んじゃいましたよ」
あるパーティ会場で、Mさんが報告にきた。「オサベさん」というのは、長部日出雄のことである。直木賞を受賞したので、その祝いをGの編集者OさんとMさんと私との四人でやろう、ということになっていた。
受賞後いろいろの週刊誌をにぎわしたように、オサベは有名な酒乱である。
そのパーティは三時半からだったから、そのあと食事をするのには都合がよい。
しかし、はやくも水割り七杯とは、といそいでオサベに近寄って声をかけると、
「いや大丈夫です。ぜったい大丈夫」
なにか、自分に言い聞かせているようにもおもえた。顔をみると、目を大きく開いて、黒目のまわりを白目がぐるりと取囲んでいる形になっている。これはあとで聞いたことだが、酔っぱらってくると目蓋が垂れ下ってくるので、おもい切り大きく目を開くためにそういう形になるのだ、ということである。いま考えてみれば、酒乱の前兆の一つなのだが、ともかく本人が大丈夫というので、四人で会場を抜けてあるレストランへ行った。
「料理はなににする」
「今日は、ブドウ酒の白が飲みたい気分です」
と、オサベが言う。自分の好みをはっきりさせるのは良いことだが、これほど積極的に意見を述べるのは珍しい。私の知っている彼の酒乱予知法は、「ニターッ」と薄気味わるく笑うことだが、その笑いはまだ出ていない。これも最近知ったことだが、あれは笑っているのではない。自分で抑制して縛り上げるようにしている筋肉が、「もう、どうでもいいや」とおもった瞬間ほどけてゆくために、笑い顔に似たものになるのだそうだ。
ついでに新知識を披露すると、彼とは十年ほどのつき合いだが、まだ酒乱の被害を受けたことはない。これは、私と一緒にいると、リラックスと緊張のバランスが長つづきするためなのだそうだ。そういえば、ある時間が経つと、彼は「ニターッ」と笑い、「ぼくはこれで」と言うので、私もあわてて「ニタリ」と笑い、「さよなら」と逃げ去っていた。
ところで、ワインの白が飲みたいというので、とりあえず殻つきの生ガキを註文した。この店のハーフ・シェルは肉がしっかりしている。肉がすこしでもぐにゃりとしたらもう駄目で、こういうカキはフライにしてウスター・ソースをいっぱいかけて食べると、これも結構うまい。
長部日出雄の「ニターッ」を警戒しながら雑談していると、彼の口からいろいろ適確な意見が出てくる。これはどうやら大丈夫らしい、と何気なくそれぞれの手もとの皿をみて驚いた。大きな皿から持ってきて食べ終った生ガキの殻が、私たちの皿には三、四個なのに、オサベの皿には一ダースばかり山積みになっている。こういうことは人によって解釈が違うわけで、あの貪欲なH・A氏なら当り前の状態だが、オサベとなると異常である。
しかし、その日は酒乱にまでは達せず、つづいて行ったバーで、「ここはどこだ」とときどき叫び、そのうち長椅子の上に、ロダンの「考える人」の彫像を横倒しにした恰好のまま動かなくなってしまった。後日そのことを教えると、「もうダメだ」と嘆いたが、その眠っている恰好は、硬質というか鉱物質というか、だらしないものではなかった。
もっとも、そういう言葉は慰めとしか聞えぬようで、なかなか納得しない。