3 鮪(まぐろ)㈰
昔の麹町《こうじまち》区、いまの千代田区の一部で、私は育った。つまり、東京山手の中流家庭の子供なのだが、これがいろいろ間違ったイメージを与えるらしい。
「どうも、おれは音痴に近くてね」
などというと、安岡章太郎が、
「おまえ、子供のころ音感教育をほどこされたのではないか」
と、たずねる。
小学校から帰ってきた私が、ヴァイオリンのケースをかかえ、付添いの女中に手を引かれて音楽の先生宅へ個人教授を受けに行く姿が、反射的に目に浮かぶらしい。
そう想像されているとおもうと、自分でも笑い出したくなる。
現実には、小学校から帰ってくるとカバンを玄関から投げこんで、塀《へい》や屋根に登ってしまう。一度、となりの家の塀から屋根に移ろうとして、片足上げたままの恰好で、地面に落ちた。
丁度、居間の前だったらしく、
「いまの音、なにかしら」
「猫だろう」
その家の家族の会話が聞えてきて、|尾※[#「骨」+「低のつくり」]骨《びていこつ》を打って息のとまるくらい痛いのだが、ひどくオカしかった記憶がある。
要するに、放任主義であったわけだ。
坂の下に、市場があった。
これはまさしく「市場」であって、汚ない平家の建物にいろいろの店が雑居していた。床は崩れかかったコンクリートで、ところどころ土が露出している。
とくに、魚屋の前は水で濡れていて、生臭いにおいがしていた。
店の前に大きな樽《たる》が置いてあって、水の中にカズノコがいっぱい詰めこまれていた。一山何銭という安い値段である。
私はカズノコが嫌いで、見向きもしなかった。それが四十年後の今日、「黄色いダイヤ」とかいわれて、貴重品あつかいになっている。路地裏の家から出世して、大金持になった人物をみるようで、それはそれでいいのだが、あの味はいまでも好きではない。
もっとも、味の好き嫌いは主観的なもので、カズノコが好きな人に文句を言うつもりはまったくない。
マグロもいまはトロが一切れ何百円で、金を食べているようなものだが、昔は車夫馬丁の食い物だった、とはよく言われることだ。この場合の「昔」は、明治年間を指しているのだろうとおもう。私のころには、赤身のマグロは大きな顔で通用していたが、トロはまだ出世の途中であったようだ。
とくに、大トロとなると、鮨《すし》には使わなかったし、買手もすくなかったようだ。市場で五銭(いまの三十円くらいか)出すと、大きな切身が買えた。それをショウユに漬けておいて、網で焼くと脂が燃えて火がボウボウと立上る。これが、うまかった。こういう所帯染みたことをくわしく覚えているのは、お屋敷のお坊ちゃんでない証拠であり、またその大トロが大そう旨《うま》かったためでもある。
ところが、いまは鮨屋でトロをたくさん食べると、その店に気の毒である。法外な値段は取れないし、さりとてトロを置いてないと鮨屋の名に背く。場合によっては、客が一切れ食べるたびに、鮨屋がソンをすることも起るのではあるまいか。
「出世|魚《うお》」という言葉があって、これは育つにしたがって、名前の変る魚である。
別の意味で、カズノコとトロは、出世食品の両横綱といったところだろう。