6 茗荷(みょうが)
記憶があいまいなのだが、親が馬鹿息子にすこし遠くの家へ行って、餅をつくキネを借りてこい、と言う。ついては、おまえは忘れっぽいから、「キネ、キネ」と声を出して繰返しながら歩いていけ、と教える。命令どおりにしていると、途中に溝《みぞ》があって、「ドッコイショ」と渡る。それ以後は「キネ」変じて「ドッコイショ」となり、相手の家に行って、
「ドッコイショ、を貸してください」
と頼む。
落語のマクラに使う話であるが、異説も多い筈で、読者のほうが精《くわ》しく覚えているだろう。
同じく落語で、古来みょうがを食べると忘れっぽくなるというので、料理屋が客にやたらに食べさせる(なんのためだったか、忘れてしまった)。ところが、忘れてほしいものを忘れないで、勘定のほうを忘れられてしまったという話。これだけ書いても、いかに私が忘れっぽくなっているか分かるだろうが、けっして茗荷の食べすぎではない。要するに、齢のせいである。
以前は記憶力はけっして悪くなかった。ところが事情は変った。人間は二十五歳に達すると一日に十万個の脳細胞が死滅するようになる。この死滅がだいぶ進んだらしく、肝心なことでも忘れてしまう。なお、この細胞は再生しないそうだが、脳細胞は三百億くらいあるそうだから、カラッポになることはない(この数字は、あらためて確認した)。
手の指に糸やカンジヨリを巻きつけておいて、忘れないように注意するという方法がある。それを試みたところ、たしかに指に巻きつけた糸には気がつく。しかし、なにを忘れないために巻きつけておいたのだったか、その内容をどうしてもおもい出せないことがあった。
昔から、放心癖はあった。これもなかなか厄介なもので、まだ二十代のころ、いま吸っていた筈のタバコが指のあいだから消えている。手品のようだ。あちこち探しまわったあげく、障子の桟《さん》の上に乗っているのを発見したりする。甚だ危険である。
ただし、放心癖と忘れっぽくなることとは別のものである。私の場合は、この二つが混り合っているようにおもえる。
今年から突然眼が悪くなって、老眼鏡を使うようになった。この前、眼鏡が見つからないので、探しているうちにふと気づくと、ちゃんと目の上にかけていた。頭の上にはね上げてある眼鏡を探すという話は、ときどき聞く。しかし、かけている眼鏡を探すのは話をつくりすぎてはいまいか、という疑いをもつ人もあるかもしれない。これには、論理的に説明をつけることができる。
私はいろいろ病気をしてきたが、眼だけは良かった。私にとっては、ものの形がはっきり見えるのが、当り前の状態である。
五十年そのことがつづいてきたので、にわかに目が悪くなったのは、きわめて不愉快な出来事である。眼が悪くなったことは、いつも頭から離れないのだが、一方自分の眼にいつもはっきりものの形が映っていた長年の習慣からも、また抜けられない。はっきり見えているのは、眼鏡のおかげだというのを忘れていて、
「はて、めがねはどこへ行った」
と探しまわる。
ここらあたりまでは、理屈がつくのだが、先日片手に握りこんだライターを、
「なくなった、なくなった」
といいながら、発見するのに手間取ったことについては、弁明するのが難しい。
やはり、忘れ癖と放心癖の複合したものだろう。