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贋食物誌07
日期:2018-12-08 21:57  点击:307
     7 うどん㈰
 
 
 この随筆は味覚について語っているわけでもないのに、タイトルは食べ物の固有名詞に統一することにしている。しかし、「うどん」というタイトルはいかにもコジツケなのだが、一応こういう題をつけてみた。
 ある日の午後四時ころ、川上宗薫から電話がかかってきて、
「イワセが銀座でオゴるといっているから、つき合わないか」
 と、いう。
 イワセとは、岩瀬順三というKKベストセラーズの社長である。私はどうも気が進まなかった。イワセともカワカミとも、もう長いつき合いで気の置けない仲なのだが、その日は疲れ気味であった。街へ出てゆくのが、億劫《おつくう》なのである。私としては、駅の近くのパチンコ屋へ行き、帰りに坂上のソバ屋で鍋焼《なべやき》うどんでも食ってから、原稿を書こうと思っていた。
 カワカミが強くすすめるのだが、どうも気が乗らない。悪い予感がした、といったらよかろうか。
 ここで、言いたいことがある。
「このごろ小説家は、銀座のバーで先生と呼ばれていい気になっている」
 という言い方を、この十年くらいのあいだに何度も聞いた。もう陳腐な言い草になってしまっている。「先生」といわれて喜ぶ小説家は、何パーセントいるだろうか。バーにかぎらずそう呼ばれると、甚だ居心地が悪いので、以前はいちいち「それはやめてください」と頼んでいた。しかし、それも面倒くさくなり、「先生」とは称号ではなく相手にとって安直な呼び方だと悟り、あきらめることにした。若い女性から、「——さん」づけで呼ばれたほうが、どれだけ嬉しいか。むしろ、それを求めることのほうが贅沢《ぜいたく》というものだろう。
 キャバレーへ行くと、ある年齢に達していれば、「社長」か「先生」かのどちらかで呼ばれてしまう。先日キャバレーへ行くと、さっそく、
「センセイ」
 という。
「オレは先生ではない」
「あら、社長さんだったの」
「違う」
「じゃ、なんなの」
「副社長である」
 というと、女の子は「副社長さん」と甚だ呼びにくそうに言っていた。
 戦前は、小説家と知られると、貸家を借りることもできなかったし、年頃の娘のいる家を訪問すると、相手はあわてて娘を隠したものだ。戦争中、新聞広告で「婿を求む、東大卒にかぎる、ただし文学部を除く」という新聞広告を見たことがある。もっとも、小説家と文学部とは、べつに関係はないが。
 その本質は、じつはいまでも変っていない。
 銀座のバーでも、僅かな数の物好きなマダムが、小説家の出入りを許してくれているだけだ。明敏なマダムは、はっきり敬遠の姿勢であって、それが正しい。女ぐせは悪いし、
「自分の金で飲んでいるのだから、勘定を安くしろ」
 と、言ったりして、メリットがない。
 結局、その日はイワセと落合って、カワカミが待っているという店に出かけた。
 この店とも十年以上のつき合いで、ということは物好きなマダムがいるというわけで、店にとってはけっして上等な客ではない。

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