9 鰈(かれい)㈰
十年ほど前、どこの主催だったか忘れたが、東京・別府間のヒコーキ旅行の招待がきた。
別府に一泊してすぐに引返してくるわけだが、眼目はヒコーキの機内で試写会を催す、という点にあった。
いまでは、国外線のジャンボの中では、映画がスクリーンに写し出されているのは当り前のことになっているようだが、当時としては初めての試みだった。
このときの映画は、「飛べフェニックス」という作品で、なかなか面白かった。ヒコーキが砂漠に不時着して大破する。ここらあたりを、飛んでいるヒコーキの中で見るのも、おもしろい。
乗客の一人(映画のなかの)が毀《こわ》れていない機材を使って、小さなヒコーキをつくることを提案する。みな半信半疑なのだが、その男の自信に負けて、働きはじめる。苦しい作業がつづき、一人がその男に、「ヒコーキをつくったことがあるのか」
「ある」
「どんなやつだ」
「模型ヒコーキだ」
と聞かされて、おもわず砂の上に坐りこんでしまうところなど、卓抜であった。
このときは、柴田錬三郎先輩と阿川弘之にも招待がきていた。
当時、私たちはブラック・ジャックというトランプのゲームの一種に耽《ふけ》っていたので、三人で相談の結果ギャンブル旅行をしてみようということになった。
ブラック・ジャックは、通称ドボンという。なぜそういうか、誰かの説明によれば、これは船員のあいだではじまったゲームで、カードの数字の合計が二十一を越すと(絵札は十に数える)負けになる。つまり、甲板から手すりを越えて、海の中へ「ドボン」と落ちるようなものだ、という。
いかにも、もっともらしい解説だが、どうも怪しい。
自分の前にチップスが山積みになっているときは、皆ニタニタしているが、しだいに減ってゆくとまじめな顔になってくる。
最後の一枚の薄いまるい札が、テーブルに貼《は》りつくような形で残っているだけになると、
「おい、干潟《ひがた》のカレイみたいじゃないか」
と、からかわれる。
こうなると、誰でもかなり機嫌がわるくなってくる。
ヒコーキから降りて旅館に着くと着替えもしないでただちにゲームをはじめた。別府には何回か行っていて、城下《しろした》ガレイというのが旨《うま》いのを知っていたから、晩めしのとき食わせてくれ、と註文しておいた。この魚は、塩焼きにしても、薄づくりにしてポン酢で食べても、ほかのカレイより旨い気がする。
食事の時刻となり、そそくさと片づけ、またゲームがはじまる。とうとう徹夜となり帰りのヒコーキの中でも、それをつづけた。
結局、私の大負けで終った。
以来、身分不相応なギャンブルからは、すっぱり縁を切った。
このときの機長が、数年後「ばんだい号」を操縦していて、墜落事故のため北海道で多数の乗客とともに亡くなった。そのことは、しばらくあとで知ったのだが、その後われわれ三人が大分《おおいた》空港に降り立ったときの写真をグラビアに載せた雑誌が、偶然本の山のあいだから出てきた。
ヒコーキの操縦席の窓から、その機長が顔を出して笑っている姿も、はっきり写っている。写真の中のわれわれ三人は、わが目を疑うくらい若い。
因縁話の一つといえるだろう。