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贋食物誌10
日期:2018-12-08 21:59  点击:242
     10 鰈(かれい)㈪
 
 
 別府の旅館の晩めしには、たしかに城下《しろした》ガレイが出たが、そのときの味は覚えていない。ゲームを中断しての食事で気ぜわしかったし、そのうえ負けいくさである。この例をみても、食い物の味というのは、そのときどきの食べる側の状態も大きく作用していることがわかる。
 さらに具合の悪いことに、食事の途中で色紙をたくさん持ってこられた。
 私は色紙を書くのが大の苦手なのである。書き記す文句が、頭に浮んでこない。人生訓のようなものは、なんだか構えているようで落着かないし、
『犬が西向きゃ尾は東』
 といったような文句も、洒脱《しやだつ》さを気取るという感じで気に入らない。
 しかし、招待旅行を受けた弱味で、断わるわけにもいかない。諺《ことわざ》にあるとおり、「タダほど高いものはない」のである。食事が片づくとすぐにはじめたトランプのゲームを途中でやめて、
「とにかく、この色紙を書いてしまおう」
 ということになった。ところが、ことごとに私と意見のくい違うアガワのヤローも、色紙についてはフシギに私の考え方と同じなのである。「いろは歌」などを書いてごまかしていたが、あるとき「いろはにほへと」と書こうとして、「あいうえお」と書いてしまったというエピソードがある。
 三人とも悩んでしまった。とくに私は一時間くらい苦しんだ。そういう苦痛がじわじわと体の芯《しん》まで伝わっていったのだろう。
『樹に千びきの毛虫』
 という文句を突然おもいついた。以来、無理に頼まれると、この文句ばかり書く。相手は、困ったような曖昧《あいまい》な表情になるが、毛虫というのはいずれ蝶になるわけだ。木から千匹の蝶々が一斉に舞い上る光景を想像してもらえば、いくらか気持が和《なご》むだろう。もっとも、この理屈はあとから思いついたものだが。
 そういう事情が重なって、その夜のカレイは味がなかったが、その後、もう一度別府へ行ったときのカレイは旨かった。
 もともと、私はカレイが好きである。焼くと、身が盛り上ってハジけるようになり、箸にかたく触れてくるようなのがいい。
 あるいは、「煮おろし」といって、一たん揚げたカレイの上に、ワケギをこまかく刻んだものを混ぜた大量の大根おろしを、薄味の汁に入れてごく短時間煮たものをそそぎかける。ダイダイをそこに搾《しぼ》りこむ……、なんだか料理教室のようになってきた。
 そのなかでも、城下ガレイはなぜ旨いか。ここに最近手に入った一枚の紙があって、そこに字が並んでいる。活字ではなく、原稿をコピイしたものである(この紙については、次回で書く)。そこから、引用させてもらう。
『天下の逸品と言われているこの城下がれいは、別府温泉から海岸ぞいに北に十二キロ、日出町の海岸に残る城跡のすぐ下でとれるところからの命名で、魚種としてはごく普通のマコガレイです。
 ところで、この城下がれいが特においしい理由として、海底の二、三カ所からかなりの量の湧水《ゆうすい》があり、砂泥まじりの海底にはカレイの好む餌《えさ》が大変多いからだといわれています。
 つまり、良質の淡水が注ぐ海には必ず旨い海産物が育つと言われることの典型的な実例ということになりましょうか(中略)。旧幕時代には年々将軍家へ献上されていたというこの由緒あるかれいを、じっくりお味わい下さい』

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