16 蟹(かに)㈪
日本人というのは、概して体毛のすくない種族といえる。深夜映画をみていたら、アメリカの思春期の少女が二人出てきて、
「あら、あんた、脚の毛を剃ったわね」
「剃らないわ」
「剃ったわよ」
というような会話があって、盲点をつかれた気分になった。わが国では、とくに毛ぶかい少女はこっそり剃ることもあるだろうが、アメリカでは日常の会話で、こういう言い方をする。少女のこの言葉を言い替えれば、「色気づいて、いやらしいわ」となる。
マージャンをやっているときには、手の甲から腕にかけての毛が目につく。
「この毛蟹は……」
と、ある女性が生島治郎のことを言う。彼は、マージャンのとき目立つ部分に、毛が密生している。言うほうの女性としてはそれ以上深い意味はない筈だが、毛蟹をひっくり返して腹をみると、そこには毛が生えていない。彼も同じく胸毛はない。野坂昭如も、ほぼ似たようなものである。
「上げ底」
と、私は彼らのことを言っている。カステラなどの箱で、ぎっしり詰まっている様子をしていて、よく調べてみると底が上っていて中身は半分ぐらいしかない。それを称して「上げ底」という。
ところで、最近またもう一つの発見をした。アメリカ映画で、ボディビルの男が端役で登場することがあるが、例外なく喜劇的に扱われている。たとえば、主人公がシャワーを浴びていると、となりのシャワーにボディビルの男がきて、筋肉をぐりぐり動かしてみせる。あちこちの筋肉が、独立した生きもののように動く。
片腕を曲げて、筋肉を誇示するポーズを、さまざまな姿勢でつくって見せる。となりの主人公は唖然《あぜん》とした表情で眺めている。男性美を誇示しているポーズが、喜劇的要素を招き、さらには裏返しになって女性的な感じさえ与える。
発見というのは、こういうことではない。これは、見ていれば分かる。ボディビルの男の肌はスベスベしてピカピカしている。あれは、オイルでも塗って、筋肉が目立つようにしているのだろう。間違っても、胸毛などない。有名な日本人の一人に、胸毛とボディビルの筋肉と兼ね備えていた人物がいたが、例外である。
これは、毛の薄いアメリカ人にかぎって、ボディビルを志すのか。あるいは、毛を剃ってしまってオイルを塗りこむのか。おそらく後者であろう(これが発見)。
ここから話がややこしくなってくる。
ボディビルの写真|帖《ちよう》というのがアメリカにあって、さまざまの男がいろいろのポーズをとったのが載っている。この写真帖は、ホモの相手の見本帖だと聞いたことがある。ホモについては、いくら説明されても十分理解することができないのだが、ニューヨークなどの街角に立っている男で、ハスラーという商売があるそうだ。
「ハスラー」というポール・ニューマンの名画があって、この場合は玉突きのプロを指す言葉だが、街角のハスラーはホモの男性役をつとめる、という。
ボディビルの男は、女役をつとめる、という。しかし、それだから、体毛を剃るという論理は、この世界では成立つまい。
もっとも、少年愛というのがあって、少年の肌は体毛が濃くては困るが、さりとて筋肉隆々でも困るだろう。複雑怪奇で、私にはついに分からない。