30 鯖(さば)㈪
千葉鴨川のコンドウの家へはじめて行ったのは、三十歳くらいのときだったか。
そのとき、食卓にサバの塩焼きが出て、私はすこぶる奇妙な気分がした。東京育ちの身としては、サバはシメサバとか味噌煮のほかは食べたことがなかった。
もともと私はサバは嫌いではないが、苦手な魚である。
※[#歌記号]青きはサバの肌にして、
黒きは人の心なり。
とか、その正確さは保証しないが、そういうナニワ節の文句がある。
青い魚は、健康人でもときどきジンマシンを起す。私にとっては、こわい魚である。ところが、コンケイ宅で食べた塩焼きは、別の種類の魚としかおもえなかった。
海のそばの土地の獲れたばかりのサバやアジやカワハギの旨さは、東京では味わえない。
千葉からコンドウが上京してくるときの列車に、話を戻す。
グリーン車にコンドウが乗っていると、三人連れの男たちが彼のボックスに坐った。グリーン車は、座席指定である。
一番年上の中年男は、律義な商店主という風貌である。三十年配の男は大学出の会社員風、二十すこし過ぎの若い男がややガラがわるいとみえたが、気にもしないで新聞を読んでいた。
そこへ、一人の男がきて、切符を出してみせながら、
「この席は、わたしのですが」
と言う。
三人とも、黙っている。男は重ねて、
「どいてくれませんか」
そのとき、会社員風が威勢のよいタンカを切った。
「なにをっ、てめえ」
以下、こういうタンカの文句を私はよくわきまえないのだが、要するに殴り飛ばされたくないのなら、とっとと立去ってしまえ、という意味のことである。その男は、驚いて逃げてしまった。
そのとき、年上の男が、すこぶるおだやかなゆっくりした口調で、
「それだから、おまえたちはダメなんだ」
と、たしなめて、どこそこ組の何某を見ならえ、という話題になった。
その何某は、平素とまったく違わない態度で名古屋まで行き、人を一人刺し殺してきたではないか。
ようやく、ヤクザの親分とわかったが、その親分は訓戒を垂れながら、チラとコンケイの顔をみる。
こわいのでおもわずお世辞笑いをしかかるが、うっかり笑うと、「なにがオカしいんだ」といわれそうな気がする。いそいで新聞に目をおとすのだが、さっきから読みつづけていた新聞をいつまでも眺めているのも不自然になってきた。
困ったことに、カバンには本も雑誌も入っていない。親分の視線をしばしば感じて、どういう顔をしてよいものか閉口した。
コンドウは、堅気にはみえない。千葉あたりの親分衆の感じに近いところもある。そのことに自分で気付いて、その親分が子分の不始末を同業者に弁解しているのか、とも考えたそうだ。
とにかく、その親分はまったくヤクザにはみえなかったそうで、世間にはどこにどういう人物がいるか分からない。
「やっぱり、徹底的にヨワイに限る」
という感想が、その車中でコンケイの頭に浮んできた、という。