42 煙草㈬
一日に四十本ほど喫うタバコは、主として、ハイライトであるが、昨年一年間タバコ屋で買ったことはなかった。パチンコ屋の景品でまかなったが、パチンコ屋荒しをするほどの腕前ではない。八十円払って、その店でハイライトを一箱買っていたくらいの計算になる。
一日に二箱といえば、一カ月に六十箱、つまり三カートンである。昨年最大の収穫は二百エンで二カートンだが、いつもそういうわけにはいかないから、収支つぐなうくらいの計算になる。
ギャンブルの欲求に、私は烈しく襲われることがしばしばである。十年間ほど、花札のコイコイに凝っていたが、いまはマージャンとブラック・ジャックである。ところが、マージャンをやるためには、半日を必要とする。仕事の忙しいときは、そういうことはやっているわけにはいかないので、パチンコ屋へ行く。二時間も玉を打てば、その欲求を消すことができるので、都合がよい。
三十分足らずで、上と下の玉受け皿が一杯になることはしばしばある。ここで交換すれば、ハイライト一カートンになるが、「おれは儲《もう》けにきているわけではない」と、そのまま打ちつづける。
ここからが、プロとアマの腕の違いがはっきりするわけで、プロなら打止めに向って進むわけだが、私はしばしばスッカラカンになってしまう。
となりの台の前に、がっしりした体格の若い男が悠然と立って、仔細《しさい》に釘の按配を眺めはじめたことがあった。かなり長いあいだ点検していて、やがて深く頷《うなず》くと、打ちはじめた。その様子は、
「デキル」
とか、
「もしや名のあるおかたでは」
とでも言いたいようなものだったが、玉を弾《はじ》きはじめると、たちまち敗退して立去ってしまった。あれは、運の悪いプロだったのか、単なる気取り屋だったのか、いまでも分からない。
玉が上下の受皿に一ぱいになったころ、ピタリと入らなくなることがある。その理由については、昔からいろいろ言われているが、結局私にはよく分からない。
パチンコをしていると、しばしば女のことが頭に浮ぶ。パチンコはもともと性的イメージに絡まるところが多いが、とくにチューリップ式になって橙色《だいだいいろ》の唇がパクパク開閉するようになってからは、一層それが強くなった。
もっとも、誰でもそう感じているとはかぎらないようなのだ。先日、若い男が台に向って、罵《ののし》っていた。
「このヤロー、出やがれ。なぜ出ないんだ」
なかには男と見做《みな》して罵っているのがいるなと思ったのだが、女に向ってヤローと罵ることもあるそうだ。
頭に浮ぶ女の按配も、玉の出具合によって、いろいろの形を取る。たくさん出ている玉が、じわじわ減りはじめるときに浮ぶのは、友好的につき合っていた筈の女の隠されたトゲについてである。
「あのとき、あの女が、ああ言った裏の意味は、こうであったに違いない」
などと、思い当る。
もともとそういう疑いは持っていたのだが、それが確信となって入りこんでくる。すると、ますます玉は減ってゆき、「あの女は……」とほかのことにも思い当り、マゾヒスティックな気分になってゆくうちに、玉をみんな穴の中に打ち込んでしまう。
とぼとぼと帰途につく。行きは急な坂を登らなくてはならないが、帰りはその反対になるので、前のめりになって交互に脚を出しているうちに家に着く。