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贋食物誌51
日期:2018-12-08 22:24  点击:311
     51 ラムネ㈫
 
 
 ラムネはレモネードの訛った言葉、と書いたとき、頭の片隅になにか引掛るものがあった。
 二日ほど経って、分かった。
 二月十七日は安吾忌であるが、その坂口安吾の「ラムネ氏のこと」というエッセイ風の短かい作品を思い出しかかっていたのだ。
 ただ、内容は忘れてしまっている。さいわいその作品を収めた本が見付かったので、紹介したい。
 昭和十六年の執筆である。
 とりあえず、冒頭の部分をそのまま、引き写させてもらう。
『小林秀雄と島木健作が小田原へ鮎釣《あゆつ》りに来て、三好達治の家で鮎を肴《さかな》に食事のうち、談たまたまラムネに及んで、ラムネの玉がチョロチョロと吹きあげられて蓋になるのを発明した奴が、あれ一つ発明しただけで往生を遂げてしまったとすれば、おかしな奴だと小林が言う。
 すると三好が居ずまいを正して我々を見渡しながら、ラムネの玉を発明した人の名前は分っているぜ、と言い出した。
 ラムネは一般にレモネードの訛だと言われているが、そうじゃない。ラムネはラムネー氏なる人物が発明に及んだからラムネと言う。これはフランスの辞書にもちゃんと載っている事実なのだ、と自信満々たる断言なのである。早速ありあわせの辞書を調べたが、ラムネー氏は現れない。ラムネの玉にラムネー氏とは話が巧すぎるというので三人大笑したが、三好達治は憤然として、うちの字引が悪いのだ、プチ・ラルッス(吉行註・ラルースと発音するような気がするが)に載っているのを見たことがあると、決戦を後日に残して、いきまいている』
 その後、安吾がラルースを調べてみると、フェリシテ・ド・ラムネー氏という項目があった。ただし、一八五四年に亡くなった哲学者とは書いてあったが、ラムネを発明したとは書いてなかった、という。
 おそらく、三好達治の酒宴の座興と私はおもう。
 しかし哲学者ラムネーはラムネを発明したとは到底おもえないにしても、ラムネ玉を発明した可能性はゼロとはいえない感じである。
 このところは、安吾は次のように書いている。
『尤《もつと》も、この哲学者が、その絢爛《けんらん》にして強壮な思索をラムネの玉にこめたとすれば、ラムネの玉は益々もって愛嬌《あいきよう》のある品物と言わねばならない』
 これをマクラにした以下の論旨は、安吾風の飛躍があり、強引にツジツマを合わせているところがあって要領よく説明できないが、おもしろい文章である。
 いま私たちが疑いもせずに日常生活のなかに取入れているものには、発明者殉教者がその裏側にひそんでいる場合が多い。たとえば、フグにしろキノコにしろ、それが料理として通用するまでには、長い暗黒時代があって、幾十百の殉教者が血に血をついだ作品なのだ、と論旨は展開してゆく。
 そういうことは、よく言われていることで、安吾もそれだけでは詰まらないと考えたらしい。キノコ取りの名人が自分の採ったキノコで中毒して死んだ話と、ラムネー氏とを結びつけて論じているが、ここの論理はコジツケがすぎている。
 部分々々での意見は卓抜で明晰《めいせき》なのだが、全体の論旨は相当に混乱している。
 こうやって書いているうちに、安吾の作品のアラさがしをしているようになってきてしまったが、要するに私はラムネ玉というのは思考意欲をそそるものだ、といいたいわけだ。
 坂口安吾は、私の好きな作家の一人である。

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