68 ピーナッツ㈰
背の高い鉄製の帽子掛けで、洋間用のものがある。上の端に、床とほぼ水平に短かい枝が幾本も出ていて、そこに帽子をかける。その形に似たものに、五百CCの液体の入ったガラス容器をその枝に吊《つ》るし、容器の底につながった細い管の末端についている注射針を、ベッドに横たわっている人間の静脈に入れる。
容器のなかの液体が管をつたわって、血管にゆっくり流れこむ。
これを「点滴」というが、病気馴れした私でも、この光景にはいささかたじろぐものがあった。私自身、肺切除の手術のあとに受けたことがあるだけだったし、あとは瀕死《ひんし》の病人に対して行われるものだと思っていた。
そうばかりでないことが分かったのは近頃である。
「点滴をやってもらうと、体の調子がいいよ」
と気軽にいう人間にときどき会う。
この一年以上、月に二回、私もこの点滴をアレルギー治療のためにしてもらっている。最初は五百CCの液体を体に入れるのに、一時間半くらいかかった。しかし、その時間の長さは苦痛ではない。ようやく人心地ついた良い気分を噛みしめて、ベッドの上に横たわったまま背筋を伸ばしたりしているうちに過ぎてしまう。
しかし、だんだんその時間を短かくしてもらうようになった。管の途中に付いている小さな円盤を動かすことで、時間の調整ができる。ときには、三十分くらいの「急行」で入れてしまう。いずれにしろ、体に入れるものは水分なのだから、あらかじめ排尿しておかないと困る。
点滴室に、最初に入ってゆくと、
「トイレへ行っておいてください」
と、看護婦が言う。
看護婦がそのきまり文句を言うと、ジャンパーを着た中年男が、あたりを見まわしてもじもじしはじめた。部屋にはベッドがずらりと並んで、人間が片腕に針を入れられて横たわっている。
その男はひどく迷った顔つきで、やがて、思い切ったように、
「あのう、大便は今朝済ませましたが」
もっと精《くわ》しい説明をすると、男は安堵《あんど》したように部屋を出て行き、看護婦は吹き出して、
「めずらしいわねえ、あんな人、はじめてだわ」
と言い、私も笑ってしまったが、その男の気持は分かるようにおもえた。
「点滴」という大がかりな治療を受けることになった……、と男は覚悟をきめる。ものものしい気分になって部屋へ入ってゆくと、
「トイレへ行っておいてください」
と、いきなり言われる。
こんなとき、その言葉が「小便をしてこい」という簡単なこととは、とてもおもえない。なにか大へんな準備をしなくてはならないらしいが……、と男は迷う。
笑いながら、私は男に同情した。
こんなこともあった。眼を閉じて横たわっていると、
「ピーナッツ、いらんけ」
と、突拍子もない女の声が聞えてきて、びっくりした。
目を開くと、入口のドアが開いて、近県の物売りらしい女が首を出している。しかし、驚いたのは、こっちばかりではなく、
「あれ、病院だ」
と、いそいでドアを閉めて帰ってしまった。