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贋食物誌84
日期:2018-12-08 22:44  点击:288
     84 牛(うし)
 
 
 吉田健一さんの「握り鮨」についての見解を、私の言葉もつけ加えながらあらためて要約すると、こういうことになるとおもう。
 東京というと、洗練された大都会のようにおもわれがちだが、じつは田舎の町なのである。江戸開府のときから数えても、まだ四百年くらいしか経っておらず、その前は野っ原であった。
 そういう町の取柄をしいて考えれば、開府以前の関東の漁師気質にある淳朴さと、都会になってゆくことによって生じてくる不十分な洗練とのフシギな混り合いである。
 その取柄のある田舎臭さとはどういうものかの一例として、握り鮨がある。
 つまり、鮨はこはだと鮪の赤いところと烏賊くらいで十分なので、へんに凝った材料では、その特色が失われてしまう。
 したがって、鮨屋でヒラメのエンガワなどとうるさく註文して食べ物にくわしいつもりでいるのは筋が通っていない、というような意味と私は解釈した。
 岡山に旨い鮨屋があるが、私は頼まれてその店を紹介するときには、
「あの店はたしかに旨いが、勘定も高いし、ま、鮨屋とはおもわないで出かけてくれ」
 と言っている。
 吉田さんの定義する鮨屋を離れて言えば、ヒラメの縁側には(関西ではエンペラという)旨いものがある。あまり魚が大きすぎると、脂が強すぎてよくないが、手頃な大きさのものは生《なま》で酒の肴にすると、大へん結構である。
 エンペラはべつに通人の食べ物ではなく、子供のころの私は魚嫌いであったが、それでもカレイの煮付けのオカズのときなど、あの部分を好んで食べた。
 野坂昭如は少年のころを餓え切って過したせいか、必要以上にいわゆる「食通」に反感を示す。餓えたのはお互いさまだが、少年の場合、色気は十分にあってもまだ具体的にならず、食い気のほうが上まわるので、思い詰め方が極端になる。
 ノサカとレストランに行ったとき、メニューをゆっくり調べたりしていると、皮肉を言いはじめる。
 慣習どおり、酒の係りが当日のホスト(金を払う立場の人物、ノサカとのケースではつまり私)のグラスにワインをすこし注ぐ。そのワインの色や香りをしらべるふりをして、ゆっくり口に含み、深くウナズクとノサカの怒りは頂点に達して、
「そんなことして、分かるのですか」
 と、この上なく厭味な口調になる。
「分かりはしないがね、こうしないと、次にすすまないからね」
 本当は、酒の係りに(ノサカをさらに怒らせるためにいえば、この役目の男をソムリエと呼ぶ)味見をたのめば、頸《くび》から掛けている金属製の大きなメダルのような容器を使って、代行してくれるのだが。
 そう腹が立つなら、ノサカはこういうレストランに足を踏み入れなければよい。料理はステーキしか註文しないのだから、ステーキ専門の洋食屋へ行けばいいのである。
 そのレストランでステーキをノサカが註文した。当然、焼き加減を聞かれる。それに返事したときに、
「それみろ、返事しなくては、次にすすめないじゃないか」
 とすかさず逆襲するつもりで待ち構えていたら、ウエイターが黙ったまま、姿を消した。なんともフシギだった。
 その秘密は半年後に分かった。そのレストランにしばしばノサカは行っていて、ウエイターは彼の好みの焼き加減を心得ていたわけである。

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