95 鴨(かも)
昔のソバ屋には、トリ南蛮というものはなかったような気がする。鴨ナンバンというのはいまでもあるが、カモのかわりにニワトリを使っている店もある。
本物のカモを使っている店では、その肉の味のよい寒い季節しか客に出さない。となると、このカモは人工速成のものではない、と考えてよいだろう。
家の庭には、カモは飛んでこないが、山鳩はしばしば窓のすぐ近くの地面で遊んでいる。まるまると肥って旨そうだが、これを射って食べるわけにはいかない。
鳩には恨みがあるので食べてやりたいのだが、我慢している。三、四歳のころお寺の境内で遊んでいるとき、空を舞っているハトの糞《ふん》が額に命中して、その個体とも液体ともつかないものの薄気味わるさに泣いて家に帰ったことがある。
大空襲の期間、ずっと東京にいた私は、このハトの一件をおもい出し、直撃弾を受けるのではあるまいか、と厭な気分で過した。この点でも、ハトには恨みがある。
こういう鳩体験をもっている人は少ないであろう。どのくらいの確率に……、と「確率」という言葉が出てくると私はすぐにギャンブルに頭が向く。
三大本能は、食欲、性欲、あと一つは……、調査の結果おどろいたことに「——欲」というのも「三大本能」という言い方もないことが分かった。自己保存本能、種族保存本能、群居(社会)本能、と三つ並べることはできるそうであるが、私としては食欲と性欲にギャンブル欲(一種の闘争本能といえる)を加えてみたい。ギャンブル欲の強い人間が二人連れで歩いていると、走ってくる車のナンバーの末尾が丁か半かを賭《か》けたりするという話は、よく聞く。
これに似た賭で、私が関係した三大馬鹿話を書く。
一、いまでは鬼籍に入っておられる木山|捷平《しようへい》さんの出版記念会が催されたので、私も出かけて行った。会場の受付係をしていた友人が、
「おや、欠席じゃないの」
「木山さんの会に欠席はしないよ」
「でも、欠席という返信ハガキがきている」
「そんなバカな」
という問答のあげく、千円賭けることになった。
その友人は返信のハガキを調べて私の分を取出すと、「出席」「欠席」と並んでいる活字の右側のほうがペンで消してあった。
二、便所の戸を開けて、大量の脱糞をしてから後始末をして、また戸を開けて出てくることが一分以内でできる、と私が自慢した。友人が、そんなことは不可能である、と信用しないので、
「それじゃ、カケよう」
ということになった。そして、私が勝った。
三、芝居見物に行って退屈して、途中で友人と二人で廊下に出てソファに坐りタバコを喫った。上演中なので、あたりは閑散としており、側面の出入口の扉が三つみえている。
「おい、あのドアから最初に出てくるのは、男か女かカケよう」
芝居が終るまでにはまだ時間があるので、ドアから出てきた人は私たちに気づく。私たちは賭けているので、なにか曖昧《あいまい》な気配が漂ってしまうに違いない。それでは、失礼になるから、と、その賭はやめることにした。
やめておいて、よかった。
このかたも故人になられたが、最初にドアから顔を出したのは、壺井栄さんだった。壺井さんは、高齢でゼンソク症状に襲われ、特効薬の副作用で満月様顔貌症(ムーン・フェイス)になっておられた。