指揮者ブレーズのことは、私はこれまで折にふれ何回か書いてきているので、今、ここで改めて書くのはらくではない。
私としてみれば、彼を今世紀の最も天分にめぐまれた音楽家の一人と考えていると書けば、それでもう充分なようなものでもある。ちょうど、アメリカ人の間からレナード・バーンスタインが、最も天分に恵まれた音楽家として生まれ、育ち、現在、それにふさわしい活躍をしているように、そのように、ブレーズの活躍も目ざましいというほかない。
だが、もちろん、この二人の間には、単に個人としての才能の質の違いがあるうえに、伝統の長さ、厚み、そのほかからくる違いのほうもずいぶん大きい。早い話が、二人とも作曲をするといってみたところで、『ウエスト・サイド・ストーリー』と『主なき槌《つち》』ないしは『プリ・スロン・プリ』との違いは、大変なものである。一方は初めから広い公衆に呼びかけることを目的とした舞台芸術であり、社会のダイナミズム、ヴァイタリティといったものを大きくくみとってゆこうとする作品であるのに対し、もう一方は、ヨーロッパ近代音楽の展開のあとを忠実におってきた末の精緻《せいち》、厳密な美学による純乎《じゆんこ》とした芸術作品である。その違い方は、どちらがより高い価値をもっているかという質問さえ、すでに滑稽なものになってしまうくらい、大きい。こういうふうに、同じ時代に生きている音楽家たちの作品でありながら、その間に比較の余地もないくらい音楽家の追求するものが分裂してしまった時代を、不幸と考える人もあるわけだし、そこにこそ音楽の衰弱があるという見方だってあるにはちがいないが、実は、この傾向は、何も二十世紀の産物ではないのである。すでに、ブラームスやヴァーグナーがシュトラウス——もちろんヨーハン・シュトラウスのほうである——のワルツを嘆賞した時、そこには、もう、音楽が、高級な芸術音楽と大衆の喜びに接着したところで生きてゆく音楽とに分裂しているという事態に対する認識があってのうえだった。いったん、それに気がつくと、音楽の二極化ということはベートーヴェンの時代にも、バッハの時代にも、いや、ルネサンスに、という具合にさかのぼっていって、結局、中世の主として教会で開拓されていたポリフォニックな知的な音楽(musique savante)と、教会のそとで行なわれていたホモフォニックな歌や踊りの音楽との共存時代まで、ゆきつくことになるだろう。
それを考えるのが、私の当面の課題ではないけれども、しかし、ブレーズが指揮者として、今や押しとどめようもない勢いで世界の楽壇に大きく歩みはじめているのを見ると、かつて彼の作曲家としての出発点の意味がどこで、どう生かされているのだろうか? と、一度は考えてみたくなるのは、当然だろう。
ブレーズは、今世紀の五〇年代の初めにシュトックハウゼンとならんで、戦後の新音楽のメッカだったダルムシュタットの夏期講習の押しも押されもせぬ中心人物になる前から、前衛の秀才といっても、ほかの人びととはちがっていた。論理の精緻と徹底という点では他人と共通していても、音色に対する感覚がちがっていたし、リズムに対する感覚がちがっていた。そのころの彼は、よく、ヴェーベルンをドビュッシーにつないでその延長線上で創造するといった印象をもたせていた。それは、『水の上の太陽』(Le Soleil des Eaux)だとか、『ポエジー・プール・プヴォワール』(Po市ie pour Pouvoir)だとか、そういった作品をきいた人びとの印象であり、事実また、ブレーズ自身が、それに類したことをよく口にしていた。
しかし、彼でもう一つの目立ったことは、ストラヴィンスキーに対する敬愛であり、傾倒であった。特に彼が『春の祭典』を徹底的に分析して、全曲を構成するプリンシプルとしてのリズム、あるいはリズムのパターンの主題的役割を追求して、リズムと不協和音のバーバリズムとか何とか考えられていた作品の中に、実は驚くべき論理による秩序の支配があることを明らかにしたのは、画期的な仕事という以上の、音楽の行く方について啓示的な意味合いをもつものとさえ思われたのだった。
そういう彼のことだから、指揮者といっても、初めはいっしょに戦っている同僚たちの作品つまり現代の前衛音楽を紹介すること、それから、その彼らの作品の、いわば先輩にあたり、多かれ少なかれその源泉、系譜をあきらかにするような作品を手がけることが中心になっていたのは、当然のことだった。
私も、初めのころは——五〇年代から六〇年代の中ごろにかけては——そういう彼をきいていたわけである。
ブレーズは、パリでドメーヌ・ミュジカルをやっていた関係上、そこでの演奏が多くのレコードになって、早くから日本の愛好家のところまで伝わっていた。そういう中で私が、今でもときにはとりだしてきてかけるたびに感心しないではいられないものに、ピラルチックを歌い手としたシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ《ピエロ・リユネール》』のレコードであるとか、あるいはヴェーベルンの変奏曲や歌、それからブレーズ自身の『主なき槌』などをいれたもの(ジャンヌ・エリカールが歌っていた)、あるいはHommage � Stravinskyと題され、この二十世紀音楽の巨匠の生誕八十年を祝って出したレコードで、なかに『きつね《ルナール》』とか『管楽器のための交響曲』以下の数曲が入っているもの等々がある。
それから、最近のレコードでは、ベルク選集という題のもの、ここには『ヴァイオリン、ピアノ、十三管楽器のための室内協奏曲』と『オーケストラのための三つの小品』(作品六)、それから『アルテンベルク歌曲集』(作品四)という、ベルクの中で私のとりわけ好きな曲ばかり入っているレコードがある。この中ではバレンボイムがピアノをひいている。バレンボイムとブレーズの顔合わせでは、ほかにバルトークの協奏曲の第一、第三番を入れたものがあるけれども、これは、ピアニストが表情をたっぷりつけていかにもヴィルトゥオーゾ風に堂々と、絢爛《けんらん》と、ひこうとしているのに対し、指揮者のほうは、そういうことにあまり関心がなく、もっぱらリズミックでひきしまったバルトークをやろうとして、その間にかなり耳ざわりなくいちがいがあるので、私はあまり高く買わない(ついでに書いておけば、バルトークのピアノ協奏曲では、私は、いまだに、ゲザ・アンダとフリッチャイの組合わせ以上のものを知らない。ただし、こちらは二番と三番の組合わせである)。
だが、ベルクはバルトークではない。それに『室内協奏曲』はピアノ独奏用協奏曲とはまるでちがう。ここではバレンボイムの演奏はベルクの音楽のもつ官能的な表情美の発揮にやや偏している傾きがあるけれども、しかし緊張力の強いよい演奏となっている。それからヴァイオリンのガヴリーロフというのが拾いものといってもよいのではないか。