ブレーズの指揮といえば、もう一つ重要な領域はドビュッシーの音楽である。私がこれまできいたレコードでは『海』(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)と『イマージュ』とが、いちばん楽しく、また、いちばんくり返してきく機会が多かったものである。『海』は全体をきき通して、きわめてすぐれた出来であり、『イマージュ』の中でも私の好きな〈イベリア〉についていえば、〈夜の匂い〉から〈祭りの日の朝〉に移ってゆくところが、特にすばらしい演奏になっている。ブレーズという人は、冷たい、正確一点張りの演奏をしているようでいて、実はそうではない。ただ彼は、音を通じて何かを語らせようとしないだけで、音と響きが、どんなに香りの高いものでありうるかについて、またリズムとダイナミックがどんな夜中から暁方《あけがた》の日の光を静かにとりだし、つくりだしうるものであるかについて、恐ろしいほど生き生きと描き出す力をもっている人なのである。
ブレーズのドビュッシーの演奏で気づくのは、オーケストラの音の均衡に対する抜群の配慮と、前進したり躍動したりするリズムの活力をいつも、音の色に結びつけて処理する能力の高さである。
それにしても、指揮者としてのブレーズは、これからますます幅のひろい活躍をすべき人なのだから、彼の仕事の全貌《ぜんぼう》を見渡し評価するというのは、ここ当分は望むべくもないだろう。