ミュンシュの指揮をはじめてきいたのは、はじめてアメリカに行った時のことであるからずいぶん前の話になる。当時の彼は、ボストン・シンフォニーの常任指揮者だった。そのころ——というのは今世紀の五〇年代の前半だが——ニューヨークに滞在していると、地元のニューヨーク・フィルハーモニーと晩年のトスカニーニの主導下にあるNBCオーケストラのほかに、定期的に訪れてくるフィラデルフィア・オーケストラ、それからボストン・シンフォニーと、この四つの大交響楽団がきけたものである。
その中で、当時のニューヨーク・フィルはまだバーンスタインが就任する前で、ミトロプーロスが常任だったが、あんまり評判はよくなく、ほかの三つの管弦楽団とくらべるとかなりおちるというのが一般の評価だったし、NBC交響楽団は、とにかくトスカニーニとその楽団というわけで、よいにも悪いにも、彼が好きか嫌いかで一切がきまるようなものだから——実際にはトスカニーニだけでなく、たとえばカンテルリが指揮台に立つこともあったけれども——、普通のあり方での、アメリカの最大最高の交響管弦楽団といえば、ボストンかフィラデルフィアということになり、その両方に、それぞれのひいきがいて、一方がボストンを推せば、他方はフィラデルフィアの肩をもつという具合だった。
私は、どれがいちばんというのをきめる遊びにはあんまり強い関心がない。以上のオーケストラは、それぞれがおもしろかったり、つまらなかったりした想い出があるし、ミトロプーロス指揮のニューヨーク・フィルだって結構すばらしい演奏をきかせてくれた。
そういうなかで、ミュンシュの率いるところのボストンでは、やはり、何といっても、ほかのオーケストラよりはフランス的な味が濃く、弦も柔らかくてきれいだが、特に管の音色の磨きたてられたような艶《つや》やかさが売りものという、その評判通りの見事な演奏をきいて感心したものだ。そうしてデュティユの『第一交響曲』をきいたことと、それからラヴェルの『ダフニスとクロエ』をきいたのを、まず想い出す。評判通り、たしかに弦も管もきれいだったけれども、それと同時に、弦のバスが案外に軽くて明るかったのを、つぎに想い出す。それは、また、そのあとで、ベルリン・フィルやヴィーン・フィルをきいた時に、もう一度痛感したのだが、こういったドイツ・オーストリア系の大交響楽団では、バスが実に部厚くて、底力のある響きを立て、本当に腹の底から、力が出てくるというか、どっしりと、いかにも頼りになる音が出るのだった。そこでは、機能和声でいう通り、バスは、単に低いところにおかれた音であるばかりでなく、和声の柱を下から支え、そこから和声の全体が発生してくるところの根音であるという事実に、気がつかずにいられない態《てい》のものだった。そのことにいやというほど気づかされた時、私は、前にボストン・シンフォニーをきいて、このバスは何と軽いのだろうと思ったことを想い出した、というのがいちばん正確な言い方になるだろう。
こうして思ってみると、ボストン交響楽団できいたバスは、軽快に縦横に走りまわる一つの声部であった。