フルトヴェングラーのレパートリーとしては、このほか少なくとも、ブルックナー、シューベルト、シューマン、チャイコフスキー、R・シュトラウス、ヒンデミットにふれなければなるまい。しかし、そのうち、ブルックナーでは『第八』、シューベルトでは『ハ長調の大交響曲』、この二つは、彼の遺産の中でも最も重要なものに数えられるべきものだが、それらについては、すでに別に書いた。私としては、改めて書きそえることもない。
シューマンでは、いうまでもなく、『第四交響曲』と『マンフレッド序曲』が最も重要だが、後者は、レコードがあるのかどうか、私は知らない。『第四』については、フルトヴェングラーは、この不当に無視されてきた、独自の名作の復活に大いに力のあったといわれるべき人だろう。ここですばらしいのは、楽章から楽章へと休みなく続く交響曲の中で、その変化と推移に必然性を与え、しかもその底に一貫して持続する流れを常にきくものに気づかせている点である。これは、本当に巨匠と呼ばれるにふさわしい力業である。
R・シュトラウスについては、これも天下周知のことであるから、私は別にここでつけ加えられそうもない。私が実演できいたのは『ドン・ファン』であるが、フルトヴェングラーのレコードでは、『死と変容』が記念碑的な名演ではなかっただろうか? ここには、文字通り、鬼気迫るものがある。というのも、フルトヴェングラーは、カタストローフ(大破局)の表現にかけての内的な感覚をほかに匹敵するもののないような高さで所有していたからである。
この人は個人的な経歴としてではなくて、芸術家としての天才のうえで、《悲劇》の音楽家であった。ここが、たとえば、同じくヴァーグナーとブルックナーの大指揮者であったクナッパーツブッシュと、フルトヴェングラーとの違いだろう。クナッパーツブッシュは、もっと逞《たくま》しく大地の子であり、おそらく信仰の人であって、こういうカタストローフに対する不可避の予感とでもいったものはなかった。少なくとも、私にはそう思えてならない。もしかしたら、クナッパーツブッシュはカトリック教徒だったのだろうか? ところが、北ドイツ系のフルトヴェングラーはプロテスタントであり、文化の人間であり、ヒューマニズムへの不抜の信念はあったかもしれないが、同時に、それが音を立てて瓦解《がかい》する日の予感とも無縁ではなかったとおぼしいところがある。少なくとも、彼は自分の信念に安住してはいなかった。それは彼の残した数々の本や論文にも出ている。そうして、こんなふうにいうと、われながら、大袈裟《おおげさ》すぎて滑稽に思えてくるのだが、しかし、やはり彼の指揮する『死と変容』であるとか、『神々のたそがれ』であるとかに接すると、そこには、ほかの人とまったくちがう《悲劇の感覚》というものが潜んでいるのを、ききのがすわけにいかないのである。
だからこそ、また、ヒューマニズムが残した音楽史上最大の記念碑的作品であるベートーヴェンの『第九』をはじめとする交響曲のすべてが、フルトヴェングラーの下で、このうえなく、壮絶でしかも崇高に響くのだ。私は、やたら悲愴《ひそう》がったベートーヴェンの演奏には、やりきれない思いをするのが普通だが、フルトヴェングラーの指揮したものには、悲劇的ではあっても、澄みきった冬空を見るような厳しい壮大さに到達した時があった点、ほかの誰ともちがうと考えている。