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世界の指揮者74
日期:2018-12-14 23:09  点击:270
  私は、音楽家の性格、芸風というものを、国籍によって区別して考えるのを、あまり好まない。日本人といっても、その中でいろいろなタイプの人がいて、一口にどうというのは危険である。ましてヨーロッパ、それも特に中央ヨーロッパ出身の音楽家ということになると、何しろこの地方は、長い間オーストリア・ハンガリー帝国を形成していたあと、二十世紀になって、第一次大戦の結果、いわゆる民族自決の原則によって、そこからチェコスロヴァキア、ハンガリー、ユーゴースラヴィアといった国々が、それぞれ、再び独立国家になったり、あるいは新たな集合体として再出発したりという具合で誕生したのであって、その前は、これら各種の民族は、一つの音楽文化圏を形成していたのである。十八、十九世紀だけでみても、当時の人びとの意識の中で、国籍とか民族性とかいうものが、どういう具合に生き、働いていたか。これは、現在、私たちが考えてみるものとは、かなり様子がちがっていたと見るのが正しいのではなかろうか。そのことは少なくとも今世紀初頭まで続く。たとえばマーラーが、今日、チェコスロヴァキアに属する土地に生まれたからといって、彼をチェコの音楽家と呼ぶのは、かつてハイドンがハンガリーの片田舎に生まれたからハンガリー音楽の大家だと見るのが強引なのと同じことである。今手許《てもと》に資料がなくて、記憶で書くのだが、アルトゥル・ニキッシュも、たしか、ハンガリーかチェコかの生まれであるが、彼を、ハンガリーの指揮者とかチェコ人とか考える人はいないだろう。
 それにもかかわらず、今私たちの視界に入ってくるところで考えてみると、よそはともかく、このハンガリーとチェコスロヴァキアの両国出身の指揮者たちの間には、かなりの程度まで、はっきりした性格の分類ができるように見られるのである。
 何しろ、この両国からは驚くほどの数の指揮者が輩出し、国際的に華々しく活躍している。ハンガリーからはじめると、フリッチャイ、ライナー、セルの三巨頭は亡くなったが、オーマンディとドラティは健在だし、何といっても、現在おそらく世界中で最大の売れっ子の筆頭に数えてもおかしくないだろうショルティがいるし、それに続いて若いところではイストヴァン・ケルテシュがいる。丹念に調べている人なら、もっといくつもの名をあげられるだろう。それから、チェコスロヴァキアに目を転じると、ここにも何人かがすぐ思い浮かぶ。ターリッヒは故人となったが、アンチェルル、ノイマン、スメターチェク、それから、早くから国外に出てしまったがラファエル・クーベリック。いや、セルはブダペスト生まれではあっても、両親はチェコ人ではなかったかしら?
 ところで、こうして、かつては一つの国家の下にいた二つの民族——いや民族ということになると、おそらく以上にあげた名をおさめるには二つぐらいではすまなくなるのではなかろうか。やはり、国とよんでおこう——の出身者たちの間には、際立って対照的なものがあるように思われるのである。
 もちろん、ショルティとセル、ケルテシュとオーマンディを一つにひっくくるのは大雑把《おおざつぱ》すぎる話だが、それでも、これらの名指揮者のさまざまの美徳と品質の間を縫って、一本の赤い糸のように共通するものが認められる。それを、技術の完璧《かんぺき》と合奏の正確、それからリズミックな要素の重視といったふうに定義づけることもできるだろうが、私はむしろ、その合奏の正確、リズムの生命的躍動の重視等々の底にあるもの、つまり理想とか目標とかに対する熱狂的で一切の妥協をうけつけない追求の烈しさに目を見張るのである。作曲家でいえばバルトークのあの殉教者といっても誇張でない純潔さ、燃えるような自主独立の精神が、これと同じ源泉から由来する。
 それに比べ、つい隣りにあるチェコスロヴァキア出身の指揮者たちは、何とちがうことだろう! あちらの烈しさに対し、こちらには和やかさがあり、あちらのいまにもはりさけそうな緊張に対し、こちらには穏和と中庸がある。ここにあるのは殉教者であるよりも、むしろ寛大と柔軟を尊ぶ精神である。怒号よりむしろ寸鉄人を刺す諷刺《ふうし》をとる精神である。
 こんなふうに書いてゆくと、いや、それは皮相な見方で、チェコスロヴァキア人の口もとに浮かべられた微笑は、その底に氷より冷たい機智の刃を隠しもっているのだといわれるだろう。それは、私も気づいたところだ。だが、少なくとも、この国の人びとは、烈しい感情の動きをナマの形で外界にぶつけるという行き方を、あまり評価しないように見えるのである。
 そういう点が、この国の指揮者にも——一般化していえる限界の中での話だが、うかがわれはしないだろうか?
 

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