クラウディオ・アバドで、私がいちばん感心したのは、一九六八年の夏、ザルツブルクの音楽祭で、ロッシーニの『セビーリャの理髪師』をきいた時である。この時は、ポネルという切れ者が演出し、その舞台が気がきいていて、おもしろく見られたし、そのうえ、フィガロ役のヘルマン・プライをはじめ、芸達者で音楽の筋のよい歌手が何人もそろっていたせいも、多少はあったろう。しかし、その中でもアバドの指揮はすごく、よかった。ロッシーニの、あのきびきびした、どこを切っても新鮮な血がパッとふき出してきそうな音楽の躍動感があり、そのうえ、大切なことだが、少しも下卑て、安っぽい効果目当ての作りものめいたところがない点が、気に入った。
私が、かつて経験した最も退屈しない『理髪師』である。これは一般的にも大変好評で、何年間もこのスタッフのまま続けて、音楽祭にかかっていたはずだ。
だが、演奏会でのアバドとなると、話は少しちがう。私の記憶では、二回彼をきいたことがあるはずだが、一回はベルリンで、ベルリン・フィルと。もう一度は、プラーハの音楽祭の時で、この時はチェコ・フィルを指揮したはずである。その時のプログラムにヤナーチェクの『シンフォニエッタ』があったのははっきり覚えている。典型的ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)の建築物であるスメタナ・ザールでの演奏会だったが、そのステージの背後が、オルガニストの席だったか高い張り出しがあって、そこから、例の九本のトランペットをはじめ、軍楽隊みたいにやたらと多い金管楽器が吹奏されるという仕組になっているのだった。しかも、その奏者たちは、オーケストラのほかのメンバーとちがって、黒の燕尾《えんび》でなくて、軍人の礼服か何かひどく派手な色彩の服をき、帽子をかぶっていたように記憶している。
演奏のほうはどうだったか。何かはっきりしない。それはまた、この夜のプログラムのほかの曲についての記憶の点でも同じで、どだい、あと何があったのか、ブラームスだったかマーラーだったか。どうもはっきりしないのである。頼りない話で恐縮であるが。ただし私にしてみると、その責任の少々は、指揮者にあったのではないかといいたい気もなくはないのである。もう一つのベルリンでの演奏のほうは、マーラーの『リュッケルトの最後の歌』とベルクの『管弦楽のための三つの小品』を中心にくんだもので、あともう一曲あったが、これはどういうこともないものだったはずだ。
この中のマーラーの歌曲では、フィッシャー〓ディースカウが独唱した。例によって、ずばぬけてきめの細かい、完璧《かんぺき》の歌いぶりだったが、この時のアバドの指揮はあまり感心しなかった。やっと歌についてゆくというところで、何の新味もなければ、個性もなく、完全にフィッシャー〓ディースカウにくわれた恰好であった。
それにくらべると、ベルクの音楽は、かなりよい線をいっており、あの複雑を極めた半音階的テクスチュアをつくり上げているよこ糸とたて糸の関係をよく整理して、あとで、再組織したもので、その結果細密濃厚な情緒的世界もよく再現されていた。だが、それ以上の何があったかというと、これまた、あまりいうことがなくなる。
いくら秀才だとはいえ、若い指揮者にとっては、荷のかちすぎるプログラムだったというのが穏当な言い方かもしれないのだ。
しかし、アバドには、どこか音楽に無理を加えず、らくらくと流してゆくところがある。そういうのがよく発揮された時、たとえば先にあげたロッシーニのオペラであるとか、彼のレコードでいえば、メンデルスゾーンの交響曲であるとか、そういうものをきいていると、大家といえども感じられない軽さや、さわやかさが吹きよせてくるような思いに誘われ、この人には、洋々たる前途があるだろうし、そうあってほしいのだが、という気になる。
アバドはまだ若い。名指揮者とか何とかいう角度からでなくて、きくのがよいのではなかろうか。私とすれば、彼のロッシーニの味が忘れられず、レコードに入れるにしてもブラームスとか何とかでなくて、ああいうものを、どうしてもっとたくさんやらないのだろうと、そんな感想をもつのだが……。