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決められた以外のせりふ20
日期:2019-01-08 19:51  点击:242
 仮面をぬぐアルレッキーノ
 
 
 ミラノのピッコロ・テアトロの芝居を見ることは、今度の——私にとっては最初の外国旅行の、かなり大事なプログラムの一つであった。
 ピッコロ・テアトロはこの数年来、目ざましい活動をしている劇団である。演出家ジョルジオ・ストレレルの名前は、私のようにイタリアの現代演劇についてあまり知識を持っていない者の耳にもとどいている。ストレレル演出のイタリアの古典劇や現代劇——ゴルドニやピランデルロの芝居の衝撃的なおもしろさについては、それを見た人たちが口を極めて激賞しており、私の想像によると、そのおもしろさは、主として演出家の創意から来るもののようであった。たとえば、あるゴルドニの喜劇の幕明きは、これまでイタリアの古典喜劇——コメディア・デル・アルテの幕明きにつきものとされていた陽気な賑やかな快速調のテンポを完全に無視して、静かな、リアルな会話で始められたという。演出家の創意が梃子《てこ》を動かして、重い古典劇をひっくり返し、いままで隠されていたまったく新しい面を見せてくれるのであろう。
 ミラノへ着いたのが三月三十一日である。
 日本領事館の野間佳子さんが、ホテルのフロントに託しておいて下さった劇場案内を見ると、ピッコロ・テアトロは、ブレヒト作「一四三一年ルーアンにおけるジャンヌ・ダルクの裁判」という芝居をやっている。演出はストレレル、しかも今日が千秋楽である。翌日からは休演になっている。せっかくミラノに四泊の予定を取っておきながら、ピッコロの芝居が一つだけしか見られないとは情けない。
 もっとも、野間さんの手紙によると、この劇団はもう一つ、テアトロ・リリコという大劇場も持っており、そちらの方では、ジアンカルロ・ズブラージャ作・演出の「六月の行動」という芝居をやっている。これは当分続くらしい。
 何はともあれ、ピッコロ・テアトロへ行かなくてはならぬ。ホテルのフロントで、地図を拡げ、劇場の所在を確かめる。幸いあまり遠くないので、歩いてゆくことにする。
 ところが町へ出てみると、この地図が不完全で、さっぱり役に立たない。通りかかった青年に道をきくと、親切に案内してくれる。お互いにあまり正確とは言いかねるフランス語に身振り手真似を交えて話しながら歩く内、ピッコロ・テアトロに到着する。
 鉄柵の扉が締っている。電燈もついていない。案内の青年が声をかけて、守衛を呼び出す。
 守衛の説明によると、今日のマチネーが千秋楽、夜は休演だという。冗談じゃない、劇場案内にはそんなことは書いてないじゃないかというと、書いてなくても、とにかくそうなんだという。押問答をしているところへ、若い二人連れの女性が来る。私と同様、劇場案内をたよりにピッコロ・テアトロを見に来た客であった。
 案内の青年は、諦めたまえ、君は運がわるかったんだと、大きなジェスチュアをしながら溜息をついて見せる。二人の女性客と何か話し合った後、私のところへ引返して来て、あのお嬢さんたちにもすすめて来た、今夜はテアトロ・リリコへ行きたまえ、同じ劇団の芝居だから、よその芝居を見るよりましだろう、道案内はあのお嬢さんたちに頼んでおいた、ぼくはもう時間がないんでね、じゃさよならと、気軽に手を振って、大股に歩き出す。親切で気さくなイタリア青年に感謝の意を十分に伝えられなかったのは、残念であった。
 それにしても、半日違いでテアトロ・ピッコロを見損ったことは残念とも無念とも言いようがない。二人のお嬢さんは先に立ってさっさと歩き出す。その足どりの速いことは一と通りではない。ついてゆくのが精一杯で、うっかりするとたちまち引離される。先程の青年とは違って、こちらの方は、思わぬ東洋人の道づれの出来たことに、迷惑を感じているらしいふしがある。背はあまり高くないのに、むやみにスピードがあるのは、脚が長いせいである。おかげでテアトロ・リリコに辿り着いた時には、すっかり息が切れて、口も満足にきけないありさまであった。
 そんな状態で見た「六月の行動」が、おもしろかろうはずがない。ムッソリーニを主人公にしたブレヒト風の叙事史劇で、演技の水準とアンサンブルの点では、ローマで見たどの芝居よりもすぐれており、感心したが、それとこれとは話が違うのである。私はストレレルの演出の芝居が見たいのだ。
 四月八日にパリに到着する。
 アントワーヌ座に、ピッコロ・テアトロが出ている。演目はゴルドニ作「アルレッキーノ・二人の主人の召使」である。演出はまぎれもないストレレルである。私は有頂天になった。
 翌日、夜の九時開演が待ちきれない。六時半ごろ、劇場へ行き、切符を買う。大当りの上に千秋楽が間近だから、買えないかも知れないと言われたのが、うまい具合に、平土間のいい席が一枚だけ残っている。となりのカッフェで軽い食事をする。
 八時十五分、客はもうつめかけている。開場を待ちかねて、入る。
 アントワーヌ座は、フランス近代劇運動の発祥の地である。
 廊下には、その自由劇場の初演のポスターが貼ってある。ハウプトマン作「ハンネレの昇天」、トルストイ作「闇の力」、イプセン作「野鴨」……二階のロビーの壁には、自由劇場の作者たちの名前が色とりどりの散らし書きになっている。ゴンクール、ポルトリッシュ、アンリ・ベック……この劇場が、つとめて古風を存しようと心がけているのが感じられる。
 客席に入ると、バロック風のプロセニアムのてっぺんに、大きな時計のあるのが目を惹く。客席は四階、約千席。
 支配人シモーヌ・ベリオー夫人の才腕は、つとに定評がある。戦後、サルトルの一連の作品「墓場なき死者」「恭しき娼婦」「汚れた手」「悪魔と神」「ネクラーソフ」などを上演したのはこの劇場である。
 さて、幕が上る。ミラノ以来、待ちに待った開幕である。
 舞台の上に、もう一つ、低い、掛小屋風の舞台がある。
 舞台の後方には室内を現わす色あせた絵幕が垂れている。上方には、日除けの白い幕がかかげられている。
 掛小屋の左右の後方には、イタリアの古い町によく見かける、崩れ残った煉瓦の壁が一つずつ。そのさらに後方には青空がひろがっている。明るい淡彩の装置である。
 アルレッキーノが登場する。コメディア・デル・アルテの古式通り、赤・橙・黄などの三角模様の服を着、革製の黒い仮面をつけている。衣裳の色は程よく和らげられていて、淡彩の装置とよく調和している。
 次々に、パンタローネ、ロンバルディ医師、ベアトリーチェ、フロリンドなどという人物が登場する。仮面をつけている者もいれば、つけていないものもある。衣裳は黒、淡紅、空色、萌黄《もえぎ》、鼠、白など、多彩だがいずれもパステル調の明るい和やかな色である。
 この芝居は日本でも俳優座が「一度に二人の主人を持つと」という題で上演したことがあるから、筋は知っている。知らなくても、見ているうちに自然に分ってくる仕掛けになっているから、心配はいらない。ゆくえ不明の恋人フロリンドをたずねて、美少女ベアトリーチェが男装して旅に出る。フロリンドの方でも、ベアトリーチェを探している。おかしな偶然から、陽気で、おしゃべりで、いたずら好きで、目から鼻へぬける悪知恵の持主アルレッキーノが、掛持ちで二人の恋人に仕えることになる。もう一組の恋人たち、その父親たちが、それに絡む。お定まりの古典喜劇の筋立てである。
 まず驚いたのは演技の速度であった。
 あんなに速いテンポで語られるせりふを、私は後にも先にも聴いたことがない。ことに、アルレッキーノを演じるフェルッキオ・ソレリのせりふ廻しは、抜群の速度を持っていて、その速度自体が一種の爽快感を呼び起したといってもいいくらいである。スプリンターの疾走を見るのに似た、直接的で、肉体的な爽快感である。
 そして、せりふの速度をつくり出し、それに拍車をかけ、それを絶えず更新しているのは、身体の動き、ことに足の動きである。
 俳優たちは、足拍子を鳴らす。軽く、強く、優しく、激しく、繰返して床を踏み鳴らす。それによって呼吸を整え、同時に次に語られるせりふの局面を変化させるというふうである。またそれは打楽器のリズムのように、俳優自身の感情に活気を与え、自発性を高める作用をもしているようであった。
 みごとな柔軟な身振り、雄弁な千変万化の手の動きが、それに加わる。
 能の演技を、静の極点におくとすれば、これはまさに、動の極点に位する演技である。一瞬の休止もなく、停滞もなく、演技は流れるように進行する。活溌なマイムのやりとり、果てしのない口喧嘩、恋人が足拍子を鳴らしてオペラ風に歌い出し、アルレッキーノは逆立ちをしたまま歩きだす。
 そして掛小屋の舞台をおりると、アルレッキーノは仮面をはずして、汗をふく。彼はもはやアルレッキーノではなく、アルレッキーノを演じる役者になる。パンタローネも、ブリゲルラも、同様に、水をのんだり、椅子に腰を下ろしたりする。
 この掛小屋の外の空間があるために、激しいたたみ込むような調子で進行する芝居が、ますます引立つ。同時に芝居全体が、何かしら軽い、のんびりした、柔らかな気分を帯びてくる。舞台の上で火の出るようなテンポで動き廻り、しゃべりあっている役者たちと、舞台を下りて、裏方にダメ出しをしたり、仲間の芝居を見物している役者たちとを、のどかな淡彩の青空の下に並べて眺めているうちに、演出家ストレレルのねらいがだんだん飲み込めて来た。
 これだけ、鍛練された藝を持っている俳優たちならば、元のままのコメディア・デル・アルテを演じても——ということは、掛小屋の舞台などを置かず、裸の舞台で演じても、十分に見物を堪能させることができるはずである。が、ストレレルは、掛小屋の舞台を置くことによって、楽屋裏までさらけ出して見せたのだ。ごらんなさい、種も仕掛けもありませんよと、鍛練された肉体の藝と、その藝から解放された役者の姿とを、——緊張と弛緩《しかん》とを、そっくりそのまま、まるごと見せてくれたのである。彼はいわば、近代劇を通過したコメディア・デル・アルテを創りあげたと言えるだろう。
 ストレレルの演出について、私が想像していたことは、当っていたとも言えるし、当っていなかったとも言える。ここには、ゴルドニの喜劇についての、ことさらな新解釈は、何もない。ただ、昔ながらの掛小屋が一つ、舞台の上にあるだけである。平凡と言えば平凡である。しかし、その二重の舞台から生じる効果の新鮮で強烈なことは、類がない。これは、ストレレルの非凡な発見である。
 偶然、同じ宿屋へ泊り合せた二人の主人から、同時に食事の用意を命じられたアルレッキーノは、二人のコックを相手に、てんてこ舞いをする。
 ここで、フェルッキオ・ソレリは、完璧なアクロバットを演じた。一方の主人の部屋へ向って、早口でしゃべりながら全速力で駆け出す。コックが勢いよく皿を投げる。ソレリは高々とジャンプして空中の皿を受けとめ、主人の部屋へ抛り込むや、身をひるがえして、もう一人の主人の部屋へ駆けつける。その途中で、別のコックが、水差しを抛る。これもジャンプして、こんどは片手で受けとめる。コックは次々にパンや酒瓶やチーズの塊を投げ、ソレリはその度に飛上って間一髪のところで受けとめる、往復数回、しかもその間中、しゃべり通しである。あれだけ鮮やかなアクロバットは、劇場ではむろんのこと、サーカスでもめったには見られまい。
 最後に受けとめるのが、ばかばかしい大きさのゼリーで、さすがのアルレッキーノも立往生してしまう。ゼリーがぶるぶる震えるので、歩けないのである。震えをとろうとしてぶつぶつ文句を言いながら、皿を捧げてじっとしているうちに、今度は自分の身体が震え出して止らない。このあたりになると見物の笑いも止らなくなる。
 二人の主人に仕えたことがばれて、アルレッキーノはさんざんにやりこめられる。叱られた照れかくしに、床に置いたゼリーの皿においでおいでをすると、どういう仕掛けになっているのか、ゼリーがぶるぶる震えながらアルレッキーノの方へ寄ってゆく。種も仕掛けもないと見せて、こんなところへ手品を応用してみせるストレレルは、アルレッキーノどころではない、大した悪知恵の持主である。
 終演後の客席の熱狂はすさまじいもので、拍手は自然に一つの大きな波になり、カーテンコールは二十回を越えた。
 それにしても、あの絶え間のない流動の演技、あの一瞬の休止も、停滞もないハイ・スピードの演技は、私たちにとって、果して可能であろうか。あれほどの持続的運動を可能にするほどの体力を、私たちは果して持っているだろうか。ミラノの町で、二人のお嬢さんの後を追って息を切らした私自身の貧弱な肉体は例外としても、これはなかなかの問題である。
 時間にかかわることを、空間に移して考えるのは、正しい類推の方法ではないかも知れないが、たとえばフィレンツェのウフィッツィ美術館のことを、私は考える。あそこでは、扉も、床も、天井も、柱も、壁も、すべてが人工の極であった。どこにもかしこにも、彫刻があり、モザイクがあり、絵があり、その中に、ボッティチェリやウッチェロの絵がかかっているのである。自然の材質はどこにもない。石の素肌を見せた壁や、木地のままの扉など、薬にしたくても見当らないのである。とても日光の東照宮などという代物《しろもの》ではない。
 もしかすると、私たちは、西洋の芝居というものを、土台のところで支えている肉体的エネルギーの問題、その質の問題を、言うだけ野暮なこととして、いつも、二の次にして来たのではあるまいか。
「アルレッキーノ」は大当りで、再演が決った。私はその千秋楽、六月八日の切符を前売りで買ったが、例の五月革命の余波で、再見することができなかった。これが、こんどの旅のいちばんの痛恨事であった。
                                               ——一九六八年九月 藝術新潮——

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