バローの「ハムレット論」
ジャン・ルイ・バローの劇団が、日本へ来るという話は、大分前から聞いていたが、今度、いよいよ実現のはこびとなったのは、うれしいことだ。
うれしい、と一口にいってしまっては、少し違うような気もする。実は私は、昨年の十一月に入院し、肺の手術をうけて、一週間ほど前に、退院したばかりである。経過は良好で、手術としては、まず大成功だったらしい。永年悩まされたストレプトマイシンの注射とも、後三月足らずで、きれいさっぱり手が切れる。
一昨年の「マクベス」以来、私は仕事から離れている。自分で仕事をしないばかりでなく、劇場へ足をはこぶことも、ほとんどしなかった。自分の劇団の芝居さえ、満足には見ていない。手術の時の体の調子を、最高の状態にもってゆかなければならないという考えが、いつも頭にあったからである。
さて、手術が終り、仕事はこの秋からはじめてよろしいという医師の保証をもらって、退院してみると、自分のこれからしなければならぬ仕事が、何か、途方もなく堅い、重い、巌石のようなものに思われてくる。どこからどう手をつけるにしても、うっかりすれば、たちまち逆に弾きとばされ、のしかかられて圧し潰《つぶ》されてしまいそうである。
前に、二度、同じ病気で仕事を休んだことがあったが、その時にはこんなふうではなかった。病気がなおった、さあ仕事だと、勇み立つような気分だったが、今度は、違う。厄介なことになったぞ、という感じである。前のときには、病気は完全になおっていなかったのであり、今度は、手術をして、すっかり縁切りになったのだから、病後の気分としては、どうも逆のような気がしないでもないが、また一方、これでよし、とも思う。
バローの芝居を見るのは、むろんはじめてだし、「ハムレット」をはじめ、私には馴染のふかいレパートリーが並んでいるので、ずいぶん愉しみだが、それでもって、私のこれからはじめなければならぬ厄介なことが、すこしも減るわけではない。
手術後、間もないころ、福田恆存さんから、新版の「ハムレット」をいただいた。まだ、本を読むことは許されていなかったが、私はさっそく読みはじめた。仰向きのまま、寝返りも打てない状態だったから、一度に三、四ページずつ読むのが、やっとだった。活字が、ゆらゆら揺れてみえた。いま私は、無理なことをしたと思うが、その時は、気力を失わないために、これだけは、ぜひつづけなければならぬ、というような気持だった。
読んでいると、ハムレットの声のないせりふが、いつの間にか、自分の方から流れ出ていて、そこのページのうえで、たちまちゆらゆら揺れる活字になり、眼がそれを追っているとでもいうような、妙な錯覚に陥ることもあった。読みすすんでいるつもりで、いつまでも、同じ二、三行を繰返して読んでいる時もあった。だから、読んだ、というより、眺めたというのに近かったかもしれぬ。そうして、読んだか眺めたかした後では、ひどく疲れて、すぐ眠った。
ところどころに、おかしなせりふがあった。私の記憶では、たしかに、「雲泥のちがひ」であったはずのせりふが、「雪と墨とのちがひ」となっていたり、「そいつが疑問だ」というせりふが、「それが疑問だ」となっていたりする。そのたびに、小さな声で、せりふを呟いてみるが、記憶ちがいらしいせりふもあり、なんべん繰返してみても間違いのないせりふもあり、どちらとも一向に見当のつかないせりふもあった。「『そいつが疑問だ』に疑問はない」と、へんな独り言を言ったりしたが、それが、福田さんが旧訳を改められた結果であることを、人から教えられたのは、大分後のことであった。
バローのハムレットは、たいへん激情的なハムレットだそうである。狂気の表現がすさまじいという話もきいた。
しかし何分にも、実際に見た方々からいろいろ伺ったり、バローの映画の演技や、ハムレットについて書いたり話したりしている記事や、舞台写真などから、あれこれと勝手に想像しているだけだから、どんなハムレットがあらわれるか、たのしみである。熱に浮かされた頭で読んだ時とは違って、一挙手一投足ごとに、はっきりと、自分の中にある福田訳のせりふをしゃべるハムレットと、向うにいるバローのジッド訳のせりふをしゃべるハムレットとが、そのちがいが、見分けられ、聞き分けられることだろう。
私達の「ハムレット」の初演のとき、私の演技について、いろいろ批評のあった中に、いま手元に元の文章がないので正確な引用が出来ず、申訳ないが、山本修二先生の「ハムレットの内なる生命の爆発力、あるいはそれを狂気とよんでもいいが、そういうものの表現が不十分である」という批評は、忘れられない。初演の四日目に、京都で見られた折の批評で、これは演出家である福田さんの要求にもそのまま通じているところがあった。むろん、表現の技術のみに関わる批評ではなかった。同時に、もっと深いもの、もっと本質的なもの、ハムレットを演じる役者にとって、というよりも、およそ役者にとって、いちばん大切なものにたいする強い要求を、それは含んでいるように、私には思われた。そういうものを、福田さんが私に要求し、山本先生は、私がそれにこたえていないことを、指摘されたのである。
私にとって、ハムレットを演じることは、なんとでもして、その要求にこたえたい、そこへ突き抜けてゆきたいと、努力することに他ならなかった。突き抜けたい、というのは、まったく言葉通りにそうなので、早口でせりふをしゃべり、跳ね廻り、変幻自在のハムレットを演じているつもりで、ふと気がつくと、硬い、強い殻のようなものが、私をつつみ、私を締めつけているようだった。いくら早く、はげしい抑揚でせりふをしゃべっても、力いっぱいに動き廻っても、そんなことではどうにも追いつかぬほど、堅い、重いものが、私を突き返し、私を拒んでいるようであった。殻は、私の内部にあったのである。
いま私は、ハムレットを演じたことによって、その初演と再演とによって、それまで私の内部にあった堅い殻を、けっして十分だとはいえないが、いくらかは揺すぶり動かすことが出来、ごく小さな部分は、突き崩すことが出来たような気がしている。そして、そのことを、ほんとうに役者冥利《みようり》だったと、私は思う。しかし、山本先生の批評は、いつの間にか、「内なる生命の表現」という言葉につづまって、私の心に棲みついたまま、今に離れない。これから先、ハムレットをまた演じる機会が来るかどうか、私にはなんともいえないが、ハムレットを演じることによって私に向けられ、やがて私自身のものとなった要求は、いつまでも私をうながしつづけることをやめないだろうと思う。
激情的だといわれ、狂気の表現がすぐれているといわれるバローのハムレットは、私の苦しんだことをどういうふうに解決しているだろうか。これが、いちばんの期待である。
ハムレットについて、役者が書いた本を、いろいろ読んだが、いままで読んだものの中では、ジョン・ギルグッド、ロザモンド・ギルダー共著の「ギルグッドのハムレット」という本が、いちばんおもしろく、有益であった。ギルグッドの演じた「ハムレット」の具体的で綿密な記録であり、教えられるところが多かったが、それを自分の演技にとり入れることはしなかった。ギルグッドに限らず、誰の「型」も、私はとり入れなかった。べつに自慢しているわけではなく、そういうことをする心の余裕がなかったからである。
ただ、バローの説だけは、なるほどと思い、自分でもやってみる気になった。
「ハムレットのような役では、スタミナの配分ということをよくよく考える必要がある。ハムレットを演じる役者は、五千メートル競技のランナーのようなものだから、スタミナの配分を工夫し、それを実行することは、ほとんど、役を演じることから独立した、別の困難な課題と考えてもよいくらいである。楽屋でちょっと息をつけるのは、オフィーリア狂乱の場ぐらいのものだが、ここで休息をとりすぎるとすぐ後の、墓場でのレアティーズとのはげしいやりとりや、次の決闘の場で、かえって息切れがして苦しくなるから、あまりゆっくりとくつろがぬ方がよい。また、ハムレット上演中は、同様の理由で、煙草は禁物である。云々……」
スタミナの配分の方は、どうもうまく行かなかったが、禁煙は、たしかに効果があったようである。
バローが、一九四七年に「シェイクスピアのメッセージ」と題して行なった講演がある。バローのハムレット論としては、いちばん纏まったもので、演出家としてのバローの考え方がよく分る。
「ハムレット」を、外国の古典劇としてではなく、一九四七年のフランスの状況に適応する劇として、つまり、一種の現代劇として上演しようとした意図をのべたものだ。「ハムレット」を生んだ十七世紀のイギリスの社会的・精神的状況と、現代のフランスのそれとの酷似していることを強調し、二十世紀のフランスのハムレットを創り出そうとする態度を、明らかにしているのだが、こういう種類のものとしては、ゴードン・クレイグの方が、はるかに独創的で、おもしろい。
長らく、そう、私は思い込んでいたのだが、入院中に、ひさしぶりに読み返してみたら、これはこれで、なかなかおもしろかった。
バローが、一時籍をおいていたコメディー・フランセーズを出て、自分達の劇団を結成し、その旗挙げ公演に「ハムレット」を上演したのは、この講演を行なった前の年、一九四六年のことである。戦前、コメディー時代に一度手がけたことがあり、下地はできていたのかもしれないが、それにしても、大戦直後の混乱の時期に、ジッドのあたらしい翻訳によって、自分なりの意図をもった「ハムレット」を確立しようとしたバローという役者は、やはり、ただものではないという感じがした。
ハムレットは一種の万華鏡のような存在であり、哲学者のように見えるかと思えば狂人のようにも見え、無気力な男に見えるかと思えば一流の意識家とも見える、その全体がハムレットなのだという指摘などは、福田さんも、演出に際して強調されたことである。ハムレット劇におけるフォーティンブラスの役割を、重要視している点も、共通している。
「玉子の殻ほどのくだらぬこと」のために、剣をとって起ち、生命を賭けて危難に赴くフォーティンブラスこそ、真に行動的な英雄であり、彼を後継者とし、一切をゆだねて死んでゆくことによって、ハムレットの精神は力づよく甦《よみがえ》るのである。
「傷つき、毒がまわって、死のうとする時、ハムレットはホレイショーに心をうちあけます。
ハムレット 頼む、ホレイショー、このままでは、のちにどのやうな汚名が、残らうもはかりがたい! ハムレットのことを思ふてくれるなら、ホレイショー、しばし平和の眠りから遠ざかり、生きながらへて、この世の苦しみにも堪へ、せめてこのハムレットの物語を……(福田恆存訳)
ハムレットはこのとき、高貴で、優しさにあふれています。役者は、ここではもう、肉体的な死の苦痛の演技をやめるべきだと、私は思っております。ハムレットは浄らかな存在、自己を超えた存在になりつつあるのです」
こんな箇所にぶつかると、私は思わず微笑する。そうか、あなたもやっぱり、そう思って、やっているのですね。
そうだった。福田さんになんべんも注意され、自分でも、たしかにそうあるべきだと思いながら、激しい決闘の場面の後で、あの、一晩の芝居の最後を締めくくる、静かないくつかのせりふをいうことは、ほんとうに辛かった。息が切れ、涙がこみあげ、心をしずめようとすればするほど、肉体的なもの、生理的なものが沸き立って、私を苦しめた。あの時、汗みどろになって横たわっていた私は、高貴でもなく、優しくもなかった。ただ、最後のせりふを言いおわった後にかならずやってくる朗らかな解放感を、天使のおとずれをでも待つように、待ちのぞんでいるだけだった。
バローは、あの決闘の後の場で、どんな演技を見せてくれるだろうか。これも、私のひそかな期待の一つである。
——一九六〇年四月 藝術新潮——