ソ連映画「ハムレット」
気持のいい「ハムレット」である。二時間半は、たちまちのうちに過ぎる。あえてシェイクスピア劇にかぎらず一般に、劇を映画化して、これほど本来映画的なイメージを作り出し、こころよい作品に仕上げた例はめずらしい、と私は思う。
物語は、適度に刈りこまれている。大きい筋を通して、枝葉をはらってある。場面の前後の入れかえ、せりふの他の人物への移しかえは、必要と思われる最小限度に、しかもはなはだ独創的におこなわれている。原作は、烈しい北風の吹きすさぶ真冬から、柳が芽ぶき花の咲きそろう春までの物語であるのを、ほとんど冬一色の物語としてつよくまとめている。よくひきしめられた、みごとな脚色である。
いきなり、野面を疾走する馬が、鞭《むち》をあてる青年が、蹄《ひづめ》の音が、私たちをとらえる。馬は、荒涼とした海辺の城に走り入る。人々が出迎え、喪服姿の泣きぬれた王妃が青年を抱く。私たちは彼がハムレットであることをはじめて知る。オリヴィエ製作のハムレットは空虚な城内にひびくナレーションによって——装置と言葉によってはじまったが、コージンツェフの「ハムレット」は、広大な自然と人間を対象とした、まったく映画的な音と映像によって始まる。映画の基調の簡潔明瞭な呈示である。
自然描写はこの「ハムレット」の大きな魅力のひとつであり、ことに、烈しく波立つ冬の海と重畳する岩壁とは、たびたびあらわれてほとんど象徴的な効果をあげている。海と岩はオリヴィエもうまくとり入れていたが、あれは、いわば彼自身の芝居をひきたてるいちばん有効な背景として使ったのであった。この映画の風景は、ただ劇の背景というだけでなく、物語の主題に深く関わるもの、より本質的なものとして扱われているように思われる。
ことさらにあたらしい解釈を見せようとか、原作のある一面だけを強調しようとかいう気負ったところが、まったくない。原作の本質と香気とを、あやまりなくつたえようとする、誠実な演出である。原作にたいする長い期間の研究と準備のうえに立った、謙虚な、しっかりした演出である。それが、かえって独創的な、さわやかな画面をつくり出す結果になっている。
どことなく異教風な雰囲気のただよっているのも、そのひとつで、亡霊を追うハムレットが、剣の柄を十字架になぞらえて身を守ろうとはせず、刃先をまっすぐ亡霊へ突きつけたり、宮殿にあやしげな偶像が飾られていたりするのが、これまでの基督《キリスト》教的道具立ての「ハムレット」を見なれた目には、なかなか新鮮であった。
オフィーリアの発狂を、父の死とじかに結びつけたのもおもしろい。原作の時間の経過を省略し、同時進行形に改めてある。オフィーリアは喪服を着せられ、ハムレットから「尼寺へ行け」と言われた場所を通る時、発狂して歌い出す。無理のない運びである。ジーン・シモンズの伝統的な、草花を髪にかざした寝巻姿の白いオフィーリアも美しかったが、このヴェルチンスカヤの黒いオフィーリアも、哀切で美しい。彼女が髪におくのは炉辺の枯枝である。
ハムレットを演じるスモクトゥノフスキーが、実にいい。ちょっと、若いころのジェイムス・メイスンを想わせる。ただし、よくもわるくも、メイスンほど達者ではない。このハムレットは、寡黙なハムレットである。憂鬱なハムレットではない。瞑想的というのでもない。生気のある眼、意志的な口、気品のある風貌である。活気がある、しかし、黙っている。「こればかりは口が裂けても黙っていねばならぬ」というせりふの通りに、かけがえのないものをじっと胸中に守っている孤独なハムレットである。王の婚礼の広間の群衆の中を、黙って歩く場面で、このハムレットは早くも私たちをしっかりととらえてしまう。
ハムレットという役は、複雑な、たがいに矛盾するさまざまな性格を、一身に兼ねそなえているようなところがある。その多面性、千変万化性を、どう統一し、どう具体的に表現するか、ハムレット役者はみな苦労するのだが、このスモクトゥノフスキーのハムレットを見ていると、たしかに複雑な内面をもった青年が、ごく自然に、素朴な姿で生きているのに感心する。計算がおもてへ出ないのだ。終始一貫して、ゆるみがない。ただ、ハムレットの重要な属性である諧謔《かいぎやく》、快活の面がほとんどあらわれていないのが、いかにも惜しい気がするが、これはむしろ演出上の問題であり、大きい枝を切って、木の全体の姿をととのえたという風に見れば、納得できぬ事柄ではない。
そのほか、王、王妃、墓掘りなど、役者はみないい。
劇中劇を野外劇にしたこと、オフィーリアの水死の姿、ハムレットが最後に城を出て、海を見おろす岩壁で死ぬ演出など、ことに印象にのこっている。
ショスタコヴィッチの音楽がいい、と言ったら、ある音楽家が、しかしオフィーリア狂乱の歌は、ロシア民謡めいておかしかった、と言った。なるほど、そこまでは気がつかなかった。しかし、くりかえして言うが、これはみごとな気持のいい「ハムレット」である。心から拍手をおくる。
——一九六五年二月 スクリーン——