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決められた以外のせりふ41
日期:2019-01-08 20:35  点击:280
 「ロミオとジュリエット」開幕
 
 マイケル・ベントール氏が羽田空港へついた二月四日から、およそ二カ月あまり、私たちはこのすぐれた演出家の指導のもとに、シェイクスピアの青春の愛と死の劇に取り組んできたわけだが、その充実した稽古のたのしさは、ちょっと一口には言いがたい。
 ベントール氏の言うことは、すべて基本的なことばかりである。「真実の感情を忘れるな」「人間を離れるな」「客に見せようとするな」「しっかりと客の心にとどくように話せ」などという忠告は、私たちにとって、けっして耳あたらしいものではなく、何度もきいたり読んだりしたはずのことばなのだが、ベントール氏がそれをいうと、肝腎なところへぴしりと楔を打ちこむように、よく利く。ゆたかなアイデア、独創的な動き、たくみな演技のクロッキー、群衆の処理のみごとさに、私たちは毎日、目をみはる思いをしたものだ。装置、衣裳、音楽、音響効果などのプランは、稽古にはいる前にすでに完成しており、それを、最後の三日間の舞台稽古のギリギリまでに完全なものに仕上げてゆく、その水も洩らさぬ仕事ぶりも、あざやかなものであった。
 氏は堂々たる体格の持主でずばりとものをいう一面、ひどく細心なところがあり、私は稽古の間じゅう、なんだか神経質なライオンといっしょに仕事をしているような、一種の緊張感をたえず味わっていた。この緊張感は、病後、三年ぶりに舞台に立つ私の不安定な心の姿勢を、うまい具合に支えてくれた。
 東京の初日の夜、幕のあがる前の暗い舞台へ出てゆくと、そこにはすでにベントール氏が、手をきちんと前に組んで、にこにこしながら立っていた。その端然とした姿勢と、なごやかな表情とが、無言のうちに、私をはげまし、私をくつろがせてくれた。私たちはうなずきあった。やがて舞台監督が開幕の準備完了を告げると、氏は小声で「グッド・ラック」と言い、広い背中をみせながら、ゆっくりと暗い舞台から歩み去った。その瞬間、私は、ベントール氏とともにすごした長い時間が、大きな輪を閉じるように、確実に完結したことを感じ、あたらしいこころよい緊張が、三年間待っていた緊張が、身内におこるのを感じたのである。
                                               ——一九六五年四月 毎日新聞——

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