盛夏某日
九時半起床。暑い。体操をして一と汗かき、シャワーを浴びているところへ、撮影所から電話で、明日の予定だったロケーションが都合で二日ほど遅れる由。ほっとする。劇団の企画会議とロケーションとがかち合って、困っていたからだ。
S社の婦人記者来訪。写真を頂きに参りましたと言う。なるほど、昨日劇団の事務所からの伝言で、S社から写真を取りにくるということは承知していたが、取りにくるというのは「写しに来る」ので、「受け取りに来る」のだとは知らなかった。よく確かめなかったこちらがわるいので、恐縮して写真を探す。舞台写真ならともかく、素顔の写真というものはひどく照れくさいものである。気張っていたり、やに下っていたり、すましていたり、ぼんやりしていたり、ろくなのはない。比較的無難なやつを選んで、これにしますと言うと、記者のK嬢が、もっと新しいのはありませんかと言う。だってこれは先月のはじめに写したやつですよと答えると、眼を丸くして「うわあ、五、六年前の写真かと思いましたわ」と言う。冗談じゃない。そんなお世辞にはのらない。
十一時、宇野重吉さんの家へゆく。歩いて五分もかからないのに、すっかり汗になる。新劇俳優協会の発起人会について打ち合せをする。
映画や、歌舞伎や、新派の俳優とは違って、新劇俳優は雇傭関係をまったく持たない。劇団はすべて自主経営である。そういうわれわれの権益をまもり、われわれの社会的立場を確保しようというのが、こんどの協会設立の目的なのだが、問題は、この協会がどれだけ実行力をもち、実益をあげうるかという点にかかっている。発起人会では、いろいろな意見を腹蔵なく十分に出し合ってもらうことにする。
宇野さんといっしょにそれぞれの劇団の稽古場へ向う。家も近いが稽古場もすぐ近所だから、こういう時には具合がいい。
劇団の事務所へ労演のパンフレットのための原稿を渡し、研究生C組の講義一時間。その後で稽古をのぞく。ロルカの「ドン・ペルリンプリンとベリサの恋」の読み合せ。まだあまり調子が出ていないようだ。こういう詩的喜劇は、俳優が想像力を自由奔放にはたらかせて、子供がパステル画を描くときのようにのびのびとやらないと、理屈っぽい重い芝居になってしまうおそれがある。明るい陽気な雰囲気の中から、ロルカの悲劇的な主題が自然にうかび出てくる、というようにならないといけない。
稽古の見学を途中で失礼して、予定のフランス映画「抵抗」を見にゆく。前に試写会で見たのだが、どうしてももう一度見たかったのだ。ただ一人の人物、収容所脱出というただ一つの行為。しかもブレッソン監督の語り方はスタティックで、力強く、抑制が利いている。静かな単純な緊張の持続が、みごとだ。
映画館を出ると、雨が降っている。ちょうど時間なので、まっすぐ東横ホール「明智光秀」へ楽屋入り。食堂の前の体重計で目方をはかると五十九キロ。先週より五百グラム増えた勘定になる。
今日はどうしたことかトチリが多い。序幕で、秀吉の又五郎さんが「光秀殿には晴れの大役」というのを「晴れのタイヤキ」といったのがはじまりで、いろいろおかしなことがあった。本能寺の場では信長の槍が折れた。雑兵が切りつけてくる。仕方がないから、槍の柄で撲殺してやった。最後の幕では、杉村さんが退場しようとしてよろけかかった。幸四郎さんがうっかりして杉村さんの衣裳の裾を踏んでいたのである。こうトチリが多いのも、暑さのせいかも知れぬ。しかし、芝居全体の調子はわるくない。
NHKへ廻り、「希望音楽会」二回分、朗読「失われた地平線」三回分を録音し、十二時半帰宅。シャルル・デュランの「守銭奴」演出ノートを読む。「守銭奴」はかねてからやってみたいと思っている戯曲の一つ。
主人公アルパゴンの性格描写がすぐれているために、従来この喜劇が、「守銭奴」としてよりも「アルパゴン」として上演されがちであったことを指摘して、戯曲全体を上演しなければならぬことを強調し、この喜劇の本質を「恋愛」と規定しているのは卓見である。頬を紅潮させた若い男女達の恋愛を明るい背景として、その前面に金を恋する老人の滑稽で哀れな姿が、黒々と大きく起ち上るのだ。
それから、アルパゴンの裡に「俳優的気質」を認めているのもおもしろい。アルパゴンは守銭奴だが、どこか、われわれの同情をひくところをもっている。あんまりやっつけられると、かわいそうになる。アルパゴンはモリエールの描いた一つの典型的性格であり、普遍的情熱の代表者である。われわれもまたいくらかはアルパゴンなのであり、そこにわれわれのこの守銭奴に対する共感の基盤があるのだという説明は、確かに間違ってはいない。自分の娘に、しゃべり方やおじぎの仕方を真似してからかったり、隠した金の所在が誰にも悟られていないことがわかると「ああ、そんな大金がほんとにあったらいいんだがな」などと、楽しそうにそらとぼけてみせたりするアルパゴンは、たしかに「俳優的気質」の持主で、その気質が、彼をして単なる守銭奴たらしめず、観客の共感をひくに足る人物たらしめていることも、これまた間違いないようである。せりふや動きについての具体的な指示はことに貴重である。劇団の研究資料として、W君に翻訳してもらうことにする。二時半ごろ、眠る。
——一九五七年一〇月 文藝広場——