初冬某日
午前中、朝倉響子さんから電話あり、このつぎの日取りの打ち合せ。
朝倉さんは、来年、個展をひらかれる由で、目下、鋭意制作中である。私は、その作品の一つのモデルに選ばれて、先月来、暇を見ては、朝倉さんのアトリエへ出かけてゆき、五、六時間ずつ坐ってくることになっている。首の塑像だから、ただ黙って坐っているだけでよい。ときどきは、タバコをふかしたり、目を閉じてうつらうつらしても構わないのである。しかし朝倉さんが、豊かな髪をひるがえしながら、粘土の私の顔を熱心に箆《へら》で削ったり、鏝《こて》でたたいたりするのを見ていると、こちらもつい力が入り、気楽に坐っているつもりでも、結構、くたびれてしまう。
昼食後「塔」の台本を読みかえす。きょうは三日目だが、なにしろ、こんどは、稽古の日数が少なかったので、まだ油断はできない。
私の役の砂山三郎は、四幕のうち、一幕と三幕とが出づっぱりで、二幕と四幕とは、ほんのちょっと出るだけである。しかも三幕は、ごく短い幕だから、結局、一幕が、せりふの分量からいうと圧倒的に多いことになる。全幕を通じてのせりふの数は、マクベスのせりふとほぼ同数である。
台本を読みながら、せりふの不確かなところや、動きを変えてみたいところへ印をつける。しぐさや表情を、いくつか思いつく。
三時、文学座のアトリエヘゆく。訪中新劇団の船便の荷物が着いたのでごったがえしている。
一人考えてきた表情や、しぐさをたしかめながら、せりふをしゃべり、動いてみる。具合のよくなったところもあり、余計な思いつきだったことが分ったところもあり、動いているうちに、また新しいやり方を見つけたところもある。しかし、それがそのまま舞台に通じるとは限らない。とにかく、やってみることだ。
四時半、楽屋入り。すこし早いが、今夜から、ニク(肉襦袢)なしでやろうと思うので、一度その点検をしておく必要がある。グレーのダブルを濃紺にかえる。そして一幕二場と、三場との間で、縞のシングルに着かえていたのを、着かえないことにする。とにかく一幕の間に、砂山三郎という元軍人、宗教事業家、無神論者、ペテン師、耽美《たんび》的野心家の人間像を、しっかり造り上げてしまうこと、何よりも肝腎なことは、そのことである。
五時メーキャップ。髯の形をすこし変え、地塗りをすこし白くする。だれかが「ニクを着ないと、ニクニクしさが足りなくなりやしない?」と、つまらぬ駄洒落をとばす。このごろ楽屋は駄洒落が大流行である。
予定どおり六時開演。
ニクをカットしたおかげで、ほとんど汗をかかない。その分だけ、気持が役に集中するようで、調子はよい。幕間の転換も、ずいぶんスムーズになってきた。
終演十時。この分なら、もう二、三日すれば終演時間はずっと早くなるだろう。終演後、作者の飯沢さんに招かれて、矢代静一、文野朋子、加藤治子とともに中華料理を御馳走になる。芝居が好評なので、飯沢さんもずいぶん楽しそうだった。京阪公演にもいっしょに行って、また御馳走して下さるそうである。京都も大阪も、うまいものだらけの町だから、芝居をしに行くこととは別に、これは大いに楽しみである。
——一九六〇年一二月 毎日新聞——