舞台の扉
よほど出来の良い大道具でも、長く使っていると、方々が傷《いた》んでくる。狂いが出てくる。ぎいぎい軋む二重や、階段の揺れる手摺は、役者を不安に陥れる、いちばん起りやすいのは、扉、戸障子、唐紙や窓の故障で、これは、道具が新しくても、建て方がわるければ、たちどころに生じる故障である。
ことに、重要な登場や退場の際の、扉や窓の故障は致命的で、役者は、泣くに泣けぬ思いをする。おずおずとためらいがちに引かれる障子、あらあらしく開く戸、静かにきびしく閉ざされる扉、思いがけなく開く窓、そういうものが、その通りに行かなかったら、劇は、瞬間、失神状態に陥るのである。
私の見た、いちばん悲劇的な例は、歎き悲しみながら自分の部屋へ引込もうとして、扉がどうしても開かず、あわてて隣の部屋へ入ってしまった、ある若い女優の場合であった。隣の部屋には、彼女の憎悪の的である男がいるはずだから、扉の故障に気づかなかった観客たちは、大いに混乱し、その内の何人かは、ついに、彼女が悲しみのあまり精神に異常を来たしたのだと判断した。
また、もっとも喜劇的な例は、おなじく退場しようとして、扉が開かず、押したり引いたりしているうちに、扉の把手をむしりとってしまったある男優の場合であった。むしりとった途端に、扉がゆっくりと開き、逆上した彼は、把手をポケットにしまいながら退場したので、観客席は爆笑した。
飯沢匡氏の「塔」を上演したとき、私は、窓の開閉に、ことのほか気を配らなければならなかった。
新興宗教の総務である私の部屋には、大きな、二重の、防音ガラス窓がある。窓をあけると、信徒たちの大合唱や、ジェット機の爆音や、工事場のリベットを打つ音が聞えてくる。私は窓を開けて工事場をながめ、窓を閉めて女秘書に、三百万の信徒たちのもつ、エネルギーの偉大さを説くのである。
ところがこの窓が、どういう加減か、ひどく開きたがる窓で、いくら念入りに閉めても、なんとなく、開いてしまう。女秘書との話なかばに、厳重に騒音を閉め出したはずの二重窓が、音もなくふらりと開き、音響効果のテープはもう廻っていないから、窓の向うはしんかんと静まり返っている。この突然の静寂は、信徒たちの突然のサボタージュを思わせ、その前で彼らのエネルギーの偉大さをたたえることは、どだい無理な話であった。
「欲望という名の電車」を上演した時には、おかしなことが起った。
舞台の上手と中央は家の内部であり、下手は街路になっている。室内と街路との境に、扉がある。そこにはまた、当然、壁もあるはずなのだが、壁を立てると、大部分の観客には街路の芝居が、下手寄りの観客には室内の芝居が、すっかり見えなくなってしまうので、省略した。装置の方でいう「かつま」——壁のごく下の部分だけを見せて、壁を暗示する方法をとったのである。
三人の仲間が、その室内から、立去ってゆく場面があった。Aが、床に落ちたアロハ・シャツを拾って肩にひっかけ、扉をあけて街路へ出ると、コカコーラの箱を担いだBがその後につづき、最後にCが扉を閉めて去るのである。
ある日、Aはアロハを拾いあげることが出来なかった。コカコーラの箱を担ごうとしているBが、アロハをしっかりと踏んでいたからである。止むを得ずAは、Bが歩き出すまで、アロハに手をかけたまま待っていた。
そんなこととは知らず、Bはコカコーラの箱を担ぎあげると、いつものように扉口に向って歩き出した。
いつもAの後から、開け放しの扉口を出てゆくBには、扉の把手に手をかける習慣がなかった。彼の退場の演技は、扉とは関係がなく、扉は、おそらく彼の意識の外にあったのである。そこで彼は、きわめて自然に、「かつま」をまたいで街路へ出てしまった。
壁を通りぬけて外へ出たBを見て、Aは一瞬、呆然とした。まさか、後をつけるわけにはゆかないから、いつもの通り、扉を開けて外に出た。途端に、観客席が爆笑した。事態が明瞭になったからである。
最後に扉を閉めて去るC——私は、必死の思いで笑いを噛みころした。
この場合、扉が無罪であることは、言うまでもない。
——一九六一年六月 日本——