芝居のなかの歌
芝居のなかに出てくる歌は、演出家にとっても、役者にとっても、たのしいものであり、また同時に、なかなか厄介なものでもあります。
ひとつの歌が、それを歌う人物の、年齢や性格や職業や気分によって、また、歌われる場面や状況の変化に応じて、千変万化するからです。抒情的な歌を、勇壮活溌に歌わなければならない場合もあり、陽気な歌を、つぶやくように無表情に歌わなければならないこともある。それどころか、ぜんぜん調子外れな歌い方が、いちばん正しい歌い方である場合すらあるのです。つまりせりふを主にした芝居のなかの歌は、それを歌う人物の劇的表現や、それが歌われる場面の劇的効果と、密接に関係していて、そのために、歌自体のもつ音楽性は、第二義的なものとして扱われることが少なくないのです。
私はついこの間、遠藤周作氏の「黄金の国」という劇を演出しましたが、そのなかに、長崎地方の古い歌が、二つ出てきます。
沖に見ゆるは パーパの船よ
丸にやの字が 書いてある
まいろうや まいろうや
はらいそ寺に まいろうや
はらいそ寺は 遠けれど
まいろうや まいろうや
舞台は、島原の乱後二年、切支丹《キリシタン》にたいする弾圧のもっとも烈しかったころの長崎です。当時の農民たちのキリスト教にたいする信仰が、こういう民謡ふうの歌詞にもうかがわれるわけで、「パーパ」というのはローマ法王、「丸にやの字」というのはマルヤ(マリア)、「はらいそ」とは天国のことです。
この二つの歌は、古い「長崎県歌謡集」という本に収められているのですが、あいにくなことに、歌詞だけがのこっていて、曲のほうはさっぱり分りません。徳川幕府の二百年にわたる切支丹弾圧で、跡形もなく消えてしまったものと見えます。
劇中、この歌をうたうのは、のろ作という、少し頭のにぶい、善良な百姓です。仲間たちが火責め水責めの刑にあうことを恐れて、顔色をかえて相談している時、かれだけは、はらいそへ参って、マリア様のお酌で酒をのみ、粟飯を腹いっぱい喰うことを空想して、にこにこしている。のろ作はそんな男です。いい役です。
私はこの役に、思いきって、若い研究生の石田太郎君を起用しました。大きな体の、すこしはにかみ屋の石田君は、配役の発表を見て、びっくりしたようでした。石田君は、歌があまり得意ではないらしいのです。
「あのう、作曲はいつ出来るんですか」
「稽古の初日まで、まだ八週間もあるんだから、大丈夫。まず、せりふの勉強をしたまえ。勝手な節でいいから、自分でいろいろ工夫をして、歌ってごらん。いずれにしても、君の歌いやすい曲にするから、あんまり今から心配しないほうがいい」
さて、作曲を誰に頼もうかと思案をしているうちに、稽古の初日が来ました。稽古は六週間やるので、こういう短い歌の作曲にはまだ十分時間があるのです。
おどろいたことに、その初日の稽古に、石田君は二つの歌を朗々と歌いました。素朴で、哀感があって、みごとでした。
「どうしたんだい、その曲」
「ともだちに作ってもらったんです」
「ともだち、って」
「中学生です。女の子」
石田君は、すこし照れながら、譜を書いた紙片を、私に示しました。
私は、即座に、この作曲を使うことに決めました。無垢《むく》な心をもったのろ作にふさわしい素直な歌だったからです。
石田君ののろ作は、大成功でした。——一九六六年七月 合唱サークル——