千田さんの演出
——千田是也氏といっしょに仕事をしたことがありますか?
あります、二度。はじめは秋田雨雀氏のための祝賀会で、ブレヒトの「第三帝国の恐怖と貧困」を。次は合同公演の「かもめ」を。
——そのときの感想を。
芝居について、いろいろ教わりました。
——千田さんの演出について、何か。
千田さんの演出は、戯曲を截断し分析して、さまざまな舞台的心象や形象をつくりあげ、それらを配列して構成して、そこに生命の通ってくるのを待つという行き方らしく思われました。その結果、ドラマの重心の所在とその運動とが、非常に明瞭にあらわれます。たとえば、劇は、別荘管理人の妻と医者とのちぐはぐな会話の裡にある。それが、舞台の隅に佇んでいる田舎娘の無言の興奮裡に移る。作家と女優との陽気なおしゃべりが、それを併奏する。やがて娘が走り去り、恋人の青年が後を追うと、ドラマも舞台の外へ出てゆき、娘をよぶ青年の声の長い木魂とともに、月光を浴びた灌木の茂み、湖、尽きない小径、古い館、ロシアの荘園の夜の静寂をつつんでしまう……すべてそういうことが、説明されるわけではないが、よく分る。そんなことは、演出のABCで、あたりまえだと思われるかも知れませんが、その何でもないことが、徹底的に求められ行われているということは、あたりまえではないでしょう。ドラマの遠近法、対位法の駆使がみごとで、卓抜だと思いました。
ひとつの作品の演出が、同時に、つねに、演技の原理、演出の原理、演劇の原理の追究をふくんでいるということも、千田さんの演出の大きな魅力の一つです。おかげで役者はちょいと辛いこともあるが、実は、それでなければ演出とはいえまいと、ぼくは思う。
ただ、そういうことを露に示すことを好まない演出家もあり、千田さんは、根が役者だけに、職業の秘密を隣人に打ち明けるとでもいうような、親しいさりげない調子で、屈託なく、堂々と、それをやる。一旦、千田さんの演出で芝居をすると、他の演出が、妙に影がうすく見えてくる——少なくとも、ぼくらのような若い俳優(失礼)や演出家は、そういう気になる——その原因のひとつがここにあることは確かです。
——これまでのチェーホフと千田さんの結びつきについて、何か。
別に、ありません。
第一、あまり見ていないのです。評判だった「三人姉妹」も「イワノフ」も、文学座の公演と重なって、見られませんでした。それだけに、こんどの「三人姉妹」がたのしみです。
チェーホフに限らず、千田さんの近代劇の演出が、いつも独自の生色をたたえているのは、主題の設定や人物の解釈のおもしろさ——いわば、作品にたいする光線のあて方のおもしろさに由来していることは勿論ですが、もうひとつ、配役が巧妙であることも、与って大いに力があるように思われます。大胆な配役、時にはまったく意外な配役から、あたらしい調和が生れてくる。俳優から、その未開発のエネルギーをひきだすことにかけて、千田さんほどエネルギッシュな演出家はないので、こんどの「三人姉妹」にも、必ずその旺盛な意欲がうかがわれるにちがいありません。期待しています。
——一九五六年一〇月 俳優座パンフレット——