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決められた以外のせりふ84
日期:2019-01-08 21:11  点击:235
 演劇の鬼
 
 俳優や、演出家や、演劇運動の指導者のしっかりした伝記は、案外にすくないものだが、最近、本庄桂輔氏の「演劇の鬼・ピトエフ夫妻の一生」を、実におもしろく読んだ。
 伝記といっても、かたくるしい評伝ではなく、著者自身の見聞や回想をも織りこみながら、フランス現代劇の一方の開拓者の生涯と仕事とを、綿密に調査し、記録した労作である。ピトエフ夫妻とその藝術にたいする、著者のなみなみならぬ愛情が感じられる。
 ピトエフという名前は、年少のころの私には、ひどく新鮮で近代的な感じのする名前であった。アポリネール、コポー、ピカソなどという名前とともに、ピトエフという、澄んだ、そして、すこしおどけた響きをもつ名前を、私は好んだ。
 むろん、私はジョルジュ・ピトエフの仕事については、ほとんど何も知らなかったといってよい。彼の上演したというルノルマンやピランデルロの戯曲の翻訳をよみ、ショーやアンドレーエフの作品にたいして彼がこころみた、いくつかの舞台装置の写真をながめ、彼の妻リュドミラの扮したジャンヌ・ダルクの写真をながめては、わくわくしていただけであった。
 大学生のころ、「外人部隊」という映画で、はじめてジョルジュ・ピトエフを見た。はじめて、というより、後にも先にも、この映画以外の俳優ピトエフを、私は知らない。なるほど、本庄氏によれば、ピトエフが映画に出たのは、これ一本きりだそうである。
 しかし、この映画のピトエフは、何ともお話にならなかった。
 これが、フランス現代劇の一方の旗頭とは、到底おもえない。グロテスクで、弱々しく、青年とも老人とも見えるでこぼこの顔には、まるっきり、表情がない。嗄れた声音は、徒らに低く、鈍く、一本調子で、歩き方は操り人形のようである。女主人公フランソワーズ・ロゼエの濶達な演技を引き合いに出すまでもなく、ほんのちょっと出る端役のなかだけでくらべても、この前衛劇の闘将の演じた外人部隊兵士の役は、はなはだ生彩を欠いていた。ピトエフとしても身を入れてやっていたわけではなかったのだろう。
 本庄氏によれば、ピトエフは、この映画を見たギリシアの一女性からのファン・レターを、笑いながら子供たちに読んできかせたそうである。「あなたはまったく私の理想の男です。ぜひ結婚して下さい。私は若く、健康で、体重は百キロあります」
 ピトエフとは反対に、ルイ・ジュヴェは、映画でも、多くのすぐれた演技をのこしている。ピトエフの藝が、映画向きに出来ていなかったのか。ジュヴェの藝が、映画向きだったのか。私は彼等の舞台の演技を見たことはないが、俳優としては、どうもジュヴェの方が上だったような気がする。しかしそのジュヴェが、どこかで、「われわれの中でいちばん天才《ジエニー》をもっているのはピトエフだ」と言っているのは、あながちお世辞や皮肉のつもりではなかったろうという気もする。
 ピトエフ夫妻の劇団のプログラムをみたことがある。地味な、どちらかといえば愛想のないプログラムだが、表紙に、その芝居の作者の肖像(「かもめ」ならチェーホフの肖像)が、大きく掲げられている。そういう体裁をずっと続けたのか、それとも、ある期間だけのことだったのか、いずれにしても、私にはそれが、いかにもピトエフらしい気がした。
 プログラムの終りの方に、劇団のレパートリーがのせてある。その作品の数の多いこと、作家の多種多様なことに、私は目をみはったものだ。
 ゴーゴリ、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキー、イプセン、ストリンドベルイ、ショー、ワイルド、メーテルランク、モルナール、シュニッツラー、ピランデルロ、クローデル……すこし大げさな言い方をすれば、ピトエフのレパートリーは、西欧近代劇のインデックスの観がある。
 近代劇ばかりではない。シェイクスピアがある。セネカがある。
 祖国ロシアをはなれて、フランスで、フランス語で芝居をするという不利な条件が、レパートリーに外国作品を、より多く選ばせたという見方も、むろん出来なくはない。しかし、作家を国籍別にみれば、一ばん多いのはやはり、フランスなのである。若いジャン・アヌイの作品をもっとも早い時期にとりあげたのはピトエフであった。
 若い作家といえば、イギリスのロナルド・マッケンジーや、イタリアのレオ・フェレロの作品を取りあげたのも、ピトエフである。日本の岸田国士の処女作「古い玩具」も「黄色い微笑」という題名で、そのレパートリーに加えられる筈であった。
 本庄氏も指摘している通り、若い作家、無名の作家の発掘に努力したピトエフの功績は、どんなに高く評価しても、し過ぎるということはないだろう。
 そういう、いわば未知数の作品は、概して入りもわるく、上演日数も少ないままに打ちあげになる。その穴を埋めるために、近代劇の名作を上演し、またしても新しい冒険におもむく。経済的負担や、健康上の不安になやまされながら、貪欲といってもいいほどの探求が、絶え間なしに続く。レパートリーはおびただしい数にのぼり、生活は安定せず、時には八方ふさがりの窮地に追いこまれる。本庄氏は、こういうピトエフ夫妻のすさまじい仕事ぶりを、ほとんど余すところなく伝えている。
 ピトエフの著わした「われらの劇場」という本がある。薄い大判の、写真のたくさん入った美しい本である。
 ピトエフは、演出家、舞台美術家、俳優を一身に兼ねた「舞台の詩人」だったが、この本に収められた文章を読み、舞台写真をながめていると、ピトエフは実に一貫してピトエフだった、という気がしてくる。シェイクスピアもショーも、チェーホフもルノルマンも、ピランデルロもオニールも、ちゃんとピトエフ風の額縁におさめられている。初期から晩年まで、二十年にわたる変化は、どこにも見られない。目まぐるしく趣向の変る日本では、到底考えられないことだが、フランスでも、ピトエフほど、自分の道をかたくなに歩んだ者はない。それこそ、「天才」というものであろう。ジュヴェもデュランもバティも、こういう一貫性を持つことは、ついにできなかったのである。
「われらの劇場」の中の重要とおもわれる文章、舞台写真は、本庄氏の本にもすべて収められている。
 しかし、本庄氏の著書のもっとも魅力ある部分は、「ピトエフ夫妻の一生」という副題の示すとおり、ピトエフと、その妻であり、すぐれた女優であったリュドミラの家庭生活、劇場生活を描いたところにある。
 リュドミラに、好物の菓子を買ってやり、自分は空腹をかかえているジョルジュ。
 夫と、七人の子供達の食事をつくり、食卓では、知人の誰彼の癖を真似て見せ、みんなを笑わせるリュドミラ。
 妊娠している妻を、演出上の必要から舞台の高いところに立たせるジョルジュ。
 犯罪者の役を、自分にはつらい役だといって、演りたがらぬリュドミラ。
 こういう風に書いてゆけば、きりがないことになるが、私には、この「演劇の鬼」の人間生活が、身に沁みておもしろかった。
                                                   ——一九五八年三月 学鐙——

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