雨夜の旅
地方公演に出かける朝の駅はおもしろい。
初旅の若い女優さんはいかにも楽しそうにおしゃべりをしているし、旅馴れた奴は早手廻しに新聞と週刊誌を買って、発車前から居眠りをはじめる。かねてから準備していたらしい新しい服をさりげなく着て来るのもあれば、見るからに昨夜のままの奴もいる。
長い旅には覚悟が要る。一人一人の荷物も嵩《かさ》むし、照明器具など、手荷物扱いに出来ぬ道具類もふえてくる。支線やバスへの乗り換えが多くなるから、荷物のあげおろしが並大抵ではない。一カ所一回の公演、その夜遅くか翌朝早く、汽車で次の町へ向う、いわゆる「乗り込み初日」が、毎日のようにつづくのである。
六年前の夏、釜石を振り出しに北海道へ渡り、帰りに秋田・盛岡を廻って仙台で打ち上げる、一カ月の大巡回公演に加わったことがある。
青森から秋田へかけての日本海の美しさも忘れ難いが、釜石湾の景色も強く印象に残っている。釜石の初日が、戦後最高とかいう記録的な暑さだっただけに、翌日、主催の富士製鉄の方々の御好意で、遊覧船二艘に分乗して釜石湾にのり出した時には、蘇《よみがえ》るような思いをした。リアス式海岸の岩壁を目近に眺め、かもめの群がる小島を遠望し、昨日とは打って変った涼風を満喫しながら、青緑色にうねる波の上を行く内に、雨が降り出した。おかしな陽気の夏であった。
上陸して、釜石駅へ。出発する。雨は止まない。花巻で本線に乗り換える。例のごとく荷物のあげおろしに一と苦労する。
すると、駅のアナウンスを聞いた奴が顔色をかえて飛んで来た。どことかの駅の先で、豪雨のために鉄橋がどうとかして本線が不通になっているという。やがて発車する。すでに夜である。
客車掛りの車掌が廻って来た。詳しい事は分らぬが鋭意復旧作業中であると言う。
どことか駅まで二時間程かかる。それまでに直らなければどうなるか。直らなければ折返し運転になる。駅から駅への連絡はバスがある筈だが、山中のバス道路に崖崩れなどの事故が起っているかも知れぬ。万一の場合は、徒歩連絡になりますと言う。
男たちは思わず顔を見合せ、それから網棚の荷物を見上げた。万一の際には劇団と自分の荷物の他に女優さんたちの荷物を持ってやらねばならぬ。彼女らの鞄は、例外なく大きく、重いのである。
「デカイなあ、Pさんのボストンは」
「Q子とRのはおれが持とう。その代り、おいS君、おれのバッグを頼むよ」
芝居の仲間というものは、こんな時には話が早い。事は、明日の芝居に関わっているからである。一応手筈が決ると、たちまち陽気な馬鹿話になる。女優さんたちが不安げなのは無理からぬ次第で、さればこその馬鹿話でもあるのだ。
気の揉める二時間が過ぎた。車掌が来て、満面に喜色を浮べて言った。
「御心配をおかけ致しましたが、不通箇所の復旧作業は完了致しました。当列車、下り青森行急行××号列車から運転を再開致します」
思わず、車内から歓声が起った。岩手の深い山中で、夜の雨を冒して、この復旧作業はあざやかであった。
列車は駅で一旦停った後、最徐行で、現場の鉄橋にかかった。皆、窓から恐る恐る顔を出して、遠い谷底の闇へ眼を凝らした。そこには露天ランプが輝き、黒い防水の雨衣を着た人たちが三、四人、後片付けをしているらしい姿が、小さく見えた。「ありがとう!」「御苦労さん!」明るい汽車の窓から、そんな言葉が谷底へ向ってとんだ。
「よかったわね!」と女優さんたちは心《しん》から安堵して言った。「でも大変ね、あの人たちも」
私たちも全く同感であった。が私たちは顔を見合せ、網棚を見上げ、わざとつまらなそうな声で呟き合った。「男はみんな大変だよ、な」
——一九六四年九月 TR——