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決められた以外のせりふ100
日期:2019-01-08 21:17  点击:317
 テレビ・ドラマへの注文
 
 どうすればテレビ・ドラマが、もっと面白くなるか、良くなるか、さしあたって、妙案があるわけではない。出来ない相談だと言われれば、それまでだが、ふだんから気になっていること、それも、いくらかは相談になりそうなことを、自戒かたがた、書いておこう。
 まず、準備に十分時間をかけること。台本は、遅くとも、本番の四週間前には出来上っていてほしい。そして同時に、作者なり、演出家なりを中心として、主要なキャスト、スタッフに集まってもらい、打ち合せをする習慣をつくってほしい。
 いま、三十分から四十五分のドラマの稽古日数は、本番の当日をいれて、三日ないし四日というのが、いちばん多い。台本は、早い時には、四週間前にもらえることも、たまにはあるが、大抵は、もっと遅い。稽古のはじまる二日前に出来上ったりすることもある。
 これらの日数は、せりふをおぼえるためには、必ずしも不十分ではないが、せりふを忘れるためには、不十分である。冗談を言っているのではない。おぼえたせりふをもう一度すっかり忘れてから舞台へ出ろ、と昔の歌舞伎の名人は教えたそうだが、そういうふうに、役の人物をよく消化すること、したがって、演技が自発的になることが、大切なことは、昔も今も、洋の東西を問わず、芝居でも映画でもテレビでも、変りはないだろう。
 それには、それだけの手間、暇をかけなければならない。芝居や映画は、それぞれに、固有の流儀で、その手間、暇を私たちに与えてくれている。テレビは藝術祭の時だけ与えてくれる。
 私はべつに勉強家ぶるつもりはない。しかし一と月先のテレビ・ドラマの台本をただなんとなく読んでいるだけでも、何もしないで待っているよりは、はるかにましなのである。
 テレビ・ドラマは舞台中継やテレビ映画といっしょに、ダイレクト・メールのように、どっさり家庭にとどけられる。ダイレクト・メールは、遅配になっても、あまりさしつかえはないが、テレビに遅配はゆるされない。製作スタッフは、いわば、この広告印刷物の立案者と、工場と、郵便局とを兼ねているようなものだから、その忙しさは、一と通りではない。それはよくわかっているが、そのてんてこ舞いが、当り前だということになっては困る。
 このごろは、ダイレクト・メールもテレビ・ドラマも、送る方ではずいぶん工夫をこらしたつもりでも、受けとる方では、ああまたか、と思うようになった。どのドラマの中でも、喫茶店の恋人たちはレモン・ティーをのみながら同じような話をする。同じようなガード下で、同じような愚連隊が待ち伏せをする。どのドラマの中でも、浪人は橋のたもとの柳の下で呼びとめられ、茶の間の一家の夕食時にお父さんがおみやげをもって帰ってくる。
 工夫が紋切り型に堕さず、創意が台本、演出、演技のすべてにあふれて、かけがえのない四十五分をつくり出さなければ、テレビ・ドラマは、スイッチの一とひねりで頓死するだろう。かけがえのない瞬間は、ニュースやスポーツ実況放送の中にいっぱいあるのだから。
 プロ野球の放送がはじまる。台本の遅配を、この好機会に取り戻していただきたい。
                                               ——一九六一年二月 東京新聞——

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