「有間皇子」をめぐって
テレビ・ドラマ「蘇我馬子」「大化改新」「有間皇子」の三編は、いわば福田恆存氏の古代史劇三部作であるが、書かれた順序としては、この「有間」がいちばん早い。原作となった戯曲は、数年前、松本幸四郎さんらによって上演され、好評を博している。
もともと、この三部作の構想は、福田さんがずいぶん昔から胸中にあたためていたものだ。「有間」を書いて、その意欲はますます深まったようで、予定どおりにいけば、いまごろは「蘇我」も「大化」も戯曲になっている筈だが、シェイクスピアが邪魔をした。
この十年来、劇作家としての福田さんはシェイクスピアの訳業に専念している。すべてをそちらのほうに打ち込んだために三部作のほうは、いきおいおあずけになっていたのである。こんどの「怒濤日本史」で、やっと、その全体像が浮び出たわけだから、福田さんとしても重荷を一つおろしたような気分だろうと思われる。ついでに言うと、十年来のシェイクスピアのほうも、まもなく最後の一冊が出るようで、これも完成、来年あたりは久しぶりに福田さんの書きおろしの芝居が見られそうである。
有間皇子を演じるのは、新・吉右衛門。舞台でもおなじ役を演じて好評だった、ついこの間までの万之助君である。
このごろの若い人たちは、いったいに発育がいいが、二代目吉右衛門さん(万之助君が吉右衛門さんになるのは、初代のおもかげが私に忘れられぬためである)も、背が高い方では人後におちない。これは一つには、おじいさんたちの血のせいであろう。初代吉右衛門も、先代幸四郎も背の高い名優であった。
初代には、私はたった一度だが、お目にかかったことがある。岩波書店の一室で、小林勇氏に紹介されたのだが、私はその思いがけぬ、はなやかといってもいいほどの洋服姿にびっくりした。厚手の茶のオーバーコートに、葡萄酒色のはいったあらい毛織のマフラーをのぞかせた血色のいい老紳士は、たしかに大播磨《おおはりま》で、私が初対面の挨拶をすると、これもまた、さびのある独特の、たしかに大播磨の声が返ってきた。
「だいぶ調子をやられておいでのようですな」
私は「どん底」のサーチンを演じている最中で、すっかり声を潰していたのである。
「何かいい薬はございませんか」
黒豆の汁とか、みょうばんとか、そういう答えを期待した。歌舞伎の世界にはそういうものがたくさんあって、名人は人の知らない妙法を用いているかもしれぬと思ったからだ。すると、大播磨はにっこり笑い、ていねいに、こう教えてくれた。
「あたくしゃ、そういう時ア、お医者に見てもらいます」
二代目が近代的な好青年であるのは偶然ではない。
有間皇子は悲劇の王子であり、敵から身を守るため狂気をよそおうが、その狂気が本物とも贋物とも見えるあたり、ちょっとハムレットを思わせる。初代が見たら目を細めることだろう。
黒、というのが「有間皇子」の私の役の名である。おかしな名前だが、犬でも牛でもなく、れっきとした人間である。
もとは役人か何かだったのが、世の有様にあいそをつかして、というよりも、いとしく思う若君有間皇子が、逆境におかれていることに腹を立てて、敵に一と泡吹かせてくれんものと、野に伏し山を行く一匹狼となった——いわば山窩《さんか》の先祖の一人、それが黒である。
こんな人物が、どんな恰好をしていたか、どんな髪形をして、どんなものを着ていたか、到底わかる筈はない。あれこれと想像したり、デッサンを描いてみたりしながら、見当をつけてゆく。これは役者のたのしみの一つで、こういう外の形がつかめないと中の気持もなかなか定まらないのだ。
中学時代に、考古学者になろうかと思ったことがある。これは、実物から架空の生活を描きだすたのしみで、埴輪《はにわ》や、土器や、曲玉《まがたま》、管玉《くだたま》などを見ていると、どんな人たちが、どういう方法でこういうものを造ったのだろうか。こういうものを身につけたり、使ったりしながらどんな生活をしていたのだろうか。いったいその人たちはどんな顔をして、どんなことを考えて暮していたのだろうか、というような疑問、あるいは興味がつぎつぎに湧いてきて、分りもせぬ歴史の本をいろいろ読みあさったものだ。
じつはそこへ行くまえに、小学生のころから、歴史の時間は好きだった。先生の話は、ちっともおもしろくなかったが、当時「小学生全集」と「児童文庫」という二つの子供向きの全集——文字通り、あらゆる分野にわたる数十巻の全集が二つ出ていて、私はその愛読者であった。ことに「日本武勇伝」とか「古事記」とかいうような歴史物語がおもしろくてたまらず、読みながら、どきどきしたり、はらはらしたり、夢中になって読みふけったたのしさは、いまに忘れられない。歴史の時間が好きだったのは、そういう読物によっていくらか予備知識を与えられていたからであろう。おれはオノコロジマもウマヤドノミコも知ってるぞ、という生意気ざかりの子供の自負心である。
余談だが、いま思うと「小学生全集」も「児童文庫」もずいぶん高級な内容をもっていたようで、たとえば折口信夫博士の執筆になる「万葉集」という巻などは、大人が読んでもおもしろかっただろうと思う。「柿本人麻呂は一般には風景などよりも人の心を歌うことにすぐれた歌人だと言われておりますが、私は必ずしもそうは思いません」という一節を、私はいまでもおぼえている。
歴史物語に興味をもち、その登場人物たちの運命や行動にはらはらしたり、どきどきしたりしていた子供の空想力が、大人になっても残っていて、古代の山窩を演じるたしになっているのであろうか。ジャン・ルイ・バローは、役者の藝の根源にある二つの基本的要素として、物真似と万有霊魂の思想をあげているが、昔の物語をきいて興奮する子供の心が、それを身をもって再現することに喜びをおぼえる役者の心につながるとすれば、役者子供とはその意味でも、言い得て妙、ということになるであろう。
——一九六六年一〇月 毎日新聞——