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決められた以外のせりふ105
日期:2019-01-08 21:20  点击:293
 タクシー噺
 
 タクシーでは、いろいろな目にあう。
 こちらが歩いている時のタクシーは、バスやトラックと同様、いわば外部の存在であるから、ぶつけられたり引っかけられたりしないように気を配りさえすればよい。が、タクシーに乗るとなると、それだけではすまない。タクシーはこちらの内部まで侵入してくる。床に煙草の吸殻の散らばっているやつ。窓がなかなか閉らないやつ。ラジオをものすごい音で鳴らしているやつ。それから、主人がいる。主人の良し悪しはたちまちこちらの、客人の気分に響くのである。
 
 どういうわけだか、絶対に、口をきかない運転手が、ときどきいる。概して若い人に多い。
「有楽町A劇場」
「青山通りを行って下さい」
「その交差点を右へ曲って下さい」
「ここで結構」
「三百八十円?」
 何を言っても、ぜんぜん返事をしない。バタンと扉をしめて、それっきりである。怒っているのかも知れない。何かを我慢している、ということもあるかも知れない。しかし、こういう人に会うと、こちらまで何となく気が滅入ってくる。
 このごろの東京では、地理を知らない運転手が珍しくない。が、物には程度があるべきで、あまりひどいのにぶつかると、腹が立つよりも先に呆気《あつけ》にとられてしまう。
「東京駅」
「教えてよね、分んねえから」
 お断わりしておくが、私がこのタクシーを停めたのは日比谷である。
「先週東京へ来たばっかでさ、困っちゃうんだ。道が多くて、人が混んでてさ。やりにくいやあ、アハハ」
 野原で話しているような大声を出す。
 東京駅へ着いた時、このみごとに日焼けした若い運転手君は、にっこり笑って、こう言った。
「近いね。こんなら、歩けばいいのに」
 
 中にはまた止めどもなく話しかけて来る人もあって、そういう時にはこちらが無言の行で抵抗する羽目になる。が、たまには、おもしろい話をする人がいるものだ。だいたい、そういう話好きは、中年過ぎの人に多いようである。
「お客さんの前だが、このごろの子供の話は分らなくなりましたね。さっき乗せた女の子なんか、ひどいもんだ。連れの男が、戦争の話をはじめたら、『あ、私知ってるわ! 第二次大戦って、日本も参加したんでしょ』とこうなんですからね。『先週学校で習ったわ』だって。冗談じゃない、オリンピックじゃあるまいし、参加したなんてもんじゃないでしょう? だいたい、学校で習うまで、戦争に気がつかなかったてのが、おかしいねえ。親の責任ですかね。ま、歳勘定からいくと、もう戦争なんてまるで分らなくなっちまってる子供がいたって、おかしかないけれども、こっちは何だか急に年寄りになっちまったような気がしてね」
「なるほど」
「だけど、またよくしたもんでね。ずいぶん古風な人もいますよ。お客さんの話をほかのお客さんにするってえのは、どうも、何だけれども、きのう乗せたお婆さんなんか、珍しい人だったねえ。大学生といっしょに乗って来たんですがね。いろんな話をするんですよ。私のことは『あなた』ってんですがね、隣の大学生には『こなた』って言うんだね。何だか義太夫聞いてるみたいで、おかしかったけれども、遠くにいるのが『あなた』で、近くにいるのが『こなた』ってのは、悪かないでしょう。まぎれないからね。話の様子じゃ、その大学生は親類らしいんだが、どうもお婆さんの話がよく通じないんですね。『こなたの煙草はのべつ幕なしだね』『いいえ、これはハイライトです』なんてんだから、通じるわけがない。途中で大学生が降りましてね。そうしたら、こんどは私が『こなた』にされちまった。どうも嫁がうるさくて、かなわない。お婆ちゃん遊びに行っといで、てんで毎日追ん出されちまう。毎日、朝から紅さしている。あんなへんてこれんな嫁は見たことがない、てんですっかり愚痴を聞かされちまいましてね。新宿の寄席《よせ》へ行くって言うから、表通りで停めたら、通い馴れてるらしくて『ああ、ここで結構です』って。『ここであがります』だって。降りるんじゃないんだね。陸蒸気《おかじようき》だね、まるで。笑っちまったね。あ、ここでおあが、じゃないお降りですか。つり込まれちまったい、こっちまで。はっはっは」
                                             ——一九六六年一一月 婦人公論——

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