冬の声
冬になると、何となく声の出方がちがってくるもので、ひどく寒い朝などは、みな、溜息をつくような声で話をする。
なるべく口をひらかないようにして、低い声で話すから、うめくような、内へこもった声になる。体内の熱をできるだけ外へ逃がすまいとする結果、そうなるのだろう。
その反対に、脳天から突きぬけるような、かん高い声になる傾向もある。冬は空気が乾燥しているから、そういう声はよく通って、ますますかん高くなる。
「おはようッ!」
「寒いねッ!」
「辛子《からし》のきいた寒さだなッ!」
べつにやけを起しているわけではなく、足ぶみをしたり走ったりして体温を高めようとするように、景気のいい声で話をして、寒さに抵抗しようとするのだ。声の体操である。
話し手によっては、この二種類の声が、かわるがわるに出てくることもあって、Sさんの話などは、その代表的なものであった。Sさんという役者を知っている人は、もうあまり多くはないだろう。いかにも東京の下町の人らしい肌合と、いぶしのかかった藝風とを持った老優で、晩年は新劇の役者として過されたが、歌舞伎の演技も身につけておられたから、その舞台にはいつも独特の雰囲気が漂っていた。
私の記憶にあるSさんは、瀬戸の火鉢に手をかざして、みじかい紙巻煙草をきせるで吸いながら、内にこもった低い声と、かん高い声とを使いわけながら話をされる方であった。
くそおもしろくもない、という顔をしておもしろい話をする人があるが、Sさんもその一人——名人であった。
「昔、『河内山』をやりましてね。歌舞伎ったって、私たちのは、素人の好きが嵩《こう》じただけですから、自分じゃあ顔がこさえられない。本職の顔師をたのんできて、こさえてもらいました。例の見あらわしのとこで、ハッとして左頬のほくろを隠すと、前のお客が『なんだいッ! おうッ! 見えてるじゃねえかッ!』って言う。『ほくろ、右の頬っぺたについてるぞッ!』てんでね、一幕台なしです。顔師に『だめじゃないかッ!』って言ったら、その顔師が、じいっと私の顔を見て、『ちゃんと左に入ってるじゃありませんか』って言うんですね。何のこたあない、向い合って、自分から見ての左へほくろを入れたから、ほら、私の右の頬へ来ちまった。のんきな本職があったもんです。もっとも、私のほうもちょいとまずかった。出の前に、鏡を見たんですがね、ほくろが右の頬についてる。ああ、こりゃあ鏡だから、左の頬のほくろが、逆にうつってるんだな、と思って、安心して出ちまったんで。馬鹿な話でさね」
「新劇は何てったって、脚本と役者ですね。この二つがそろわないと、どうもいけませんね。演出家は張り切るのはいいけど、あんまり出しゃばっちゃいけません。若い人ほど、むずかしいこと言いますね。あれ、悪かないんだけども、役者が自分の思う通りにならないと、やたらに怒る人がいる。これが、どうもね。『そうじゃないッ! 何べん言やぁ分るんだッ!』なんてね。こっちも、何べんもやりたかあないから、なるべく一ぺんですむようにやっちゃあいるんだが、むずかしすぎるんですね、向うの要求が。一升の酒を二合の徳利へいっぺんに詰めろ、てなことを言う。またやる。またできない。しまいには演出家、青くなって、台本で机をたたきながら怒りはじめる。目が据わって、額に筋が立ってきて、怒鳴るたんびに、何だか、しぶきみたいなものがこっちの顔へかかる。いやだから、ちょいとこう顔をそむけると、それがまた反抗的に見えるらしいんですね。とてつもなく大っきな声で『君たちは馬鹿かねエ!』なんて言われちまう。逆らうだけ損だから、おじぎをして、ずーっと遠くへはなれてから、役者同士で『馬鹿じゃあないよ。な』なんて、小声で確かめ合ったりしてる。あれ、むだですねえ、時間が」
そんな話を、Sさんは身振りを交えながら立てつづけにいくつもした。にこりともせずに話して、一とくぎりがついたところで、大きく顔中の筋肉をゆるめて笑うと、今しがたまでの寒い気難かしい表情が急に溶けて、湯上りのあとの晩酌をたのしんでいるような、見るからに春風駘蕩《たいとう》たる好々爺《こうこうや》の顔になった。
戦後二年目の冬で、食料も乏しく、ひどく寒い冬だったことを覚えている。
Sさんの話し声が、低く内にこもり、ときに、かん高く冴えたのは、役者の仕方話だったためか、それとも、寒かったせいか、よく分らない。寒さのほうは、もう実感がないが、Sさんの声音は、今でも耳の底にのこっている。
——一九六六年一二月 婦人公論——