日语学习网
決められた以外のせりふ108
日期:2019-01-08 21:21  点击:303
 笑いたい
 
 何人か寄って、話をしていて、笑えないのは、つらい。まじめな話合いでも、一と区切りつけば、笑いたい。まるで笑わないのは、くそまじめというものだ。むろん、悲劇的な出来事の後とか、せっぱつまった相談事とかは、抜きにしての話である。
 笑いは、話にちょっと添える薬味《やくみ》ではない。お上品な食卓に飾るしゃれた生花ではない。笑いは、話の味をよくする酒である。いや、笑いは話そのものであり、私たちは、笑いたいために話すことさえあるのだ。
         *
 昔、日本の軍隊では、初年兵は、笑うとなぐられた。私は、笑ったためになぐられたことはなかったが、Oという同年兵は、年中、笑ったという理由でなぐられていた。まじめになればなるほど、笑っているように見える顔なのだ。
 ある日、中隊で慰安会があった。慰安会とは、演藝会のことである。藝自慢の初年兵たちが次次に仮設の舞台へ上って、民謡を歌ったり声帯模写をやったりした。何番目かに、Oがあらわれた。
 Oは落語をやった。「狸賽」であった。例の、狸が恩返しにサイコロに化ける話である。
 うまい。板についている。何よりも、むちゃくちゃにおかしい。私たちは引っくり返って笑い、ある古参の鬼兵長などは、笑いすぎて呼吸困難に陥ったほどであった。
 アンコールに応えて、Oはもう一席「時そば」を伺った。これも大笑い、大拍手で、彼はすっかり面目をほどこした。
 しかし、それでOの不幸が消えたわけではなかった。その夜、消燈後に、彼は鬼兵長から猛烈な往復ビンタをくらったのだ。
 翌朝、私は彼にきいた。
「どうしたんだ、昨夜は?」
 Oは腫れぼったい顔をまぶしそうに伏せて「バクチやサギの話をするのはけしからん、て言うんだ」
「ばかな。ゲラゲラ笑ってたぞ、あいつ」
「サービスしたのになあ」と、Oは、憮然として、したがって笑ったような顔になって、つぶやいた。そして小声でこうつけ加えた。
「笑う門には、鬼来たる」
 この格言、あるいは警告には、一片の真実がある。笑うこと、笑わせることは、現代の日本では、威厳を欠くこと、慎みのないこと、軽薄なことと思われやすい。
 しかし、鬼も福もなく、談笑するたのしさは誰でも知っているはずで、笑いを含んだ話は、霜降り肉のようにおいしい。
 
 
 みなが談笑しているのに、一人だけ黙っている人があると、気づまりなものだ。そこで、みなサービスの限りをつくして、話の中へ引き入れようとする。
 黙っている方にも、事情はある。ちょっとした引け目とか、気おくれとかで、つい、黙りがちだったのを、まわりが気を遣いすぎるものだから、かえって気持が屈折して、ますます無口になる。機嫌がわるくて黙っているわけではない。しかし黙りつづけている内に、不機嫌になってくる。
 そうなると、みな興醒《きようざ》めて、何となく静かになるが、やがて面倒くさくなり、口をきかぬ奴を無視してあれこれ話合うにつれ、また油がのってきて、ついに笑いの飽和状態に達してしまうことがある。誰かが一言いうとみながどっと笑う、次の一言で哄笑、また一言、また爆笑、というあの状態である。まわりがそうなった時は、黙り屋はじつになさけない思いをする。
 二十年の昔、私はそういう経験をしたことがある。
 夜の座敷の客は、私のほかに数名、主人をかこんで話がはずみ、笑い声は間断なく、私一人が無言であった。まだ酒の味を知らず、無理にやっと飲んだ数杯のビールが、かえって憂鬱《ゆううつ》をつのらせた。私は頑《かたく》なに黙っていた。
 ふと、卓の向うから、微笑して、主人が、私に声をかけた。
「きみ、靴下をぬいでごらん。楽になる」
 虚をつかれた。半信半疑で、言われた通りにした。なるほど効果はてきめんであった。私は憑《つ》きものが落ちたようにしゃべり始めた。
 隣から酒をすすめられる。断わろうとする私を制して、主人は卓ごしに自分の盃を差出し、おどけた調子で言う。
「弱きを助けよ」
 私は、はじめて、みなといっしょに哄笑した。
 青森県金木町のその家の主人の名は、太宰治。
                                               ——一九六七年二月 婦人公論——
 

分享到:

顶部
11/24 20:26