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決められた以外のせりふ114
日期:2019-01-08 21:23  点击:354
 道音痴
 
 道音痴とか、方角音痴とかいうのがある。
 どういうわけか、男よりも女に多いようで、そういう人といっしょに歩いていると、面喰うことがある。三角形の二辺を歩くぐらいならば、まだしも、ひどい時には、四角形の三辺を歩かせられたりする。
 L夫人とP嬢は、国電有楽町駅から、新宿駅へ行かなければならなかった。
「いちばん早いのは、山手線ね」
「ああ、品川を通って?」
「いいえ、上野を通るのよ」
 となりの東京駅で、中央線にのりかえれば、まっすぐに新宿駅へ出られる、ということはまるで考えなかったらしい。
 しかし、ともかくも山手環状線にのれば、どっち廻りでも、いずれは新宿駅に着いたはずである。それを、間違えて、京浜東北線大宮行の電車にのってしまった。
 おしゃべりをしているうちに、何だか、窓の外の景色の様子がへんになってきた。
「ちょっと。おかしいわよ」
「そうね。少し、遠すぎるわね」
「間違えたのかしら?」
「この次の駅で、降りてみましょうか?」
「よさそうよ、その方が」
 後日、P嬢の語ったところによると、その次の駅は、すでに、埼玉県に近かったそうである。プラットフォームに降り立って、暮方の町のたたずまいを眺めたL夫人は、びっくりして、P嬢に言った。
「あら、ここ、鎌倉じゃない?」
 ——もう一つ。
 銀座を歩いていたQ君が、四丁目の交差点にさしかかると、地下鉄の出口のところに、R嬢が立っている。紙片をもって、考えている。声をかけると、
「ああ、よかった! Xっていう洋品店、あなた、知ってるでしょう。教えてよ」
 見ると、R嬢の持っている紙片は、誰かに描いてもらったらしい略図である。鉛筆書きだが、図も文字も、きちんとしていて、よく分る。むろん、Xという店もそこに書きこんである。
「書いてあるじゃありませんか、この地図に」
「だって」と、R嬢は不機嫌な顔をして言った。「私は、地下鉄をおりて、その進む方向に、まっすぐ階段を上ってきたんだわ。だから、地下鉄は縦に通ってるはずでしょう。それが、この地図だと横に通ってるんですもの」
 Q君は、呆れて、言った。
「地下鉄の線を、合わせればいいでしょう。地図を横にすれば」
 するとR嬢は、ふてくされて、つぶやいたそうである。「字が、読みにくくなる」
 嘘のような話だが、いずれも実話である——と、私はZ嬢に念をおした。Z嬢は、私同様、L夫人ともP嬢ともQ君ともR嬢とも、仕事の上で長年のつき合いのある人だから、この話に大いに打ち興じた。私たちは、テレビ・ドラマの録画のために、あるテレビ局へ行く途中であった。私には、はじめての局だが、Z嬢は、二、三度行ったことがあるという。
 Z嬢は、さんざん笑った後で、言った。「私は、これでも道は確かなほうよ」
「お客さん」と、私たちの目的地であるTNG局を知らない運転手が、Z嬢に声をかけた。「これ、どっちへ行くんです」
 車は、細いT字路にさしかかっていた。ポストが見えた。
「ええと、ね」と、Z嬢は、ポストを見つめながら、ちょっと考え、突然、ごはんをたべる真似をした。私はぎょっとしたが、次の瞬間、Z嬢は、架空の茶碗をもった手をさっと振って、自信満々に命じた。「ひだり!」
 車は、確かにTNGに着いたから、Z嬢は道音痴ではないかも知れぬ。しかし、どうも、これもちょっとへんである。
 こういう話はまだたくさんあって、きりがない。おもうに、女性は、われわれ男性にはおよびもつかない感覚的記憶力の持主なのであろう。その反面、たとえば現実の町なり村なりを、面と線と点とによって再構成するというような抽象的な作業には、意外に弱いのであろう。いや、意外に、ということはない。哲学や数学のような学問が、女性にとって苦手であることは、よく知られた事実である。
 道音痴、方角音痴が、はたして男よりも女に多いものかどうか、統計をとってみたわけでもないのに、こんな、おおげさな結論めいた言い方をしたからといって、どうか、誤解しないでいただきたい。その時、その人が、どんな服を着ていたか、その日、その町並に、どんなあかるい日射しが流れていたかを、はっきり心の裡に再現することのできる女性特有の記憶力を、感覚の力を、私は尊敬しているのだから。
                                               ——一九六一年四月 婦人公論——

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