雑煮十六代
年のはじめを祝う雑煮には、それぞれの地方や家に、それぞれの流儀があって、たのしい。
私の家の雑煮は、餅は大ぶりの長四角に切ったのを、湯煮にし、具は、人参、大根、里芋、小松菜の茄でたのを入れる。だしは鰹節で取る。
江戸前、あるいは東京風の雑煮は、こんがりと焼いた餅に、三つ葉、銀杏などをあしらい、熱いだしを注ぐのがほんとうだ、などと言われている。いかにもさっぱりとして、江戸前の雑煮らしい気持がするし、食べてみても、おいしい。
しかし、それだけが江戸前で東京風だ、ほんとうだと言われると、待ってくれと言いたくなる。
私の家は三河の出で、この湯煮の雑煮も、元は三河に発しているのかも知れないが、江戸の下町に移り住んでから、既に十六代を経ている。家康といっしょに、三河から出て来たようなものだ。そういう下級武土は、大勢いただろう。
私の先祖は百姓で、私の家は代々御奥坊主だった。湯煮の雑煮は、あまり上等の雑煮ではなかったかも知れぬ。
しかし、私の家では、今でも毎年、祖母から母、母から家内と受けつがれたこの雑煮を祝って、飽きることを知らない。
一時、栄養を考慮に入れる流行に従って、鶏肉などを入れたこともあったが、たちまち止《や》めてしまった。具は野菜だけのほうが、正月の朝が、静かに落ち着くのであった。
焼いた餅の雑煮も結構だが、湯煮にした餅の雑煮が、三百年前から東京の下町にあったこともたしかなことで、つまり、下町にも野暮はあったのである。
年ごとの質素で淡白な味のわが家の雑煮を、私は楽しんでいる。そして、毎年、娘たちに言ってきかせる。
「おいしい、おいしい。こんなにおいしいお雑煮は、関東にも関西にも、九州にも家の他にはありゃしない」
——一九六九年一月 魚菜——