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決められた以外のせりふ130
日期:2019-01-08 21:33  点击:1160
 全体を読む
 
 二度目からは、もっと念入りに、すみずみにまで気を配って読まなければなりません。念入りに読む、というのは、最初は思わず口走ったせりふを今度はよく思案して言ってみる、などという意味ではありません。そんなことは、まだずっと先のことです。
 せりふが口へ出てくるのは、戯曲の上演された結果が、観客のまえで舞台に立った状態が、幻のようにどこかでちらちらしているからで、読みはじめたばかりの戯曲に対する態度としては、具合のわるいものです。今必要なことは、自分に課せられている仕事の全体を推し量ることで、自分のせりふを喋った結果を空想することではありません。
 役者が、自分の役にいちばん関心をもつのは、無理のないことですが、そもそものはじめから、自分の役のことだけを考えていては、うまく行くはずのものも行かなくなってしまいます。関心をもつからには、もっと強く、深く、すべての役に、すべてのせりふに関心をもつべきでしょう。つまり、作者に関心をもつべきでしょう。
 いや、自分はそんな読み方はしない、という人もあるでしょう。自分の役に深い関心をもって読めば、自然、相手の役のせりふも注意して読むことになる。その相手役に関心が強まれば、自分の役とは直接関係のない他の役のせりふも気をつけて読むことになり、そういう風にして、結局、戯曲全体に注意がゆきわたるようになる。なるほど、それならそれでもよいのです。
 また、作品の主題や構成を研究したり、人物の性格と行動との矛盾や一致を検討したり、作品の歴史的事実との関連を探ったりする、いわゆる客観的で科学的な、いくらか生体解剖的な読み方から入ってゆくという人もあるかも知れません。こういうことになると、めいめい手馴れた流儀があるので、なかなか厄介なのです。
 私は全体から入ってゆく読み方をします。ひとつひとつのせりふについて、すべての役について、作者がそれをどういうつもりで書いたか、どういう気持で書いたかを、つかもうとします。
 自分の役から入って全体に到達しようとするやり方は、理屈はたしかにそうかも知れませんが、実際には、とかく自分の役だけに興味が集中してしまいがちなものです。そして一旦そうなってしまうと、作品全体を見ることは、なかなか出来難くなってしまいます。稽古の途中で、工夫をすればするほど、変なところへ落ち込んでいって、動きがとれなくなってしまうのは、自分の役が芝居全体のなかでどういう役割をもっているかが、ちゃんとつかめていない結果であることが多いのです。
 すべての劇中人物は、はじめから、それぞれの生活と運命と役割とを担っています。彼等は書かれたように生れついているのです。
 人物達が持って生れたものをつかむこと、私は何より先にそれを考えます。
 それをつかむためには、役者の気分を捨てたほうがよいのです。演技者としての工夫だとか興味だとか、声や身体についての関心だとか、舞台や稽古場での仕事につながる一切の意識を沈黙させた方がよいのです。おかしな言い方ですが、我を忘れるようにして読んだほうがよいのです。
 それには、想像力を絶えず働かせながら読むことが必要です。戯曲を前にして、ただ沈黙し、己れを虚《むな》しゅうしてみても、何も出てくるはずはありません。
 一と口に想像力を働かせるといっても、いろいろな読み方があります。人物の心理や感情を想像して、探りながら読んでゆく、いわゆる「気持から入る」読み方はその一例ですが、これは自分の役にとりかかってからやるべきことでしょう。いきなりこういう読み方をすると、探っているつもりで、いつの間にか、自分の生《なま》の感情をそこへ持ち込むという誤りを犯しがちです。人物はちゃんと自分の感情をもっているのですから、なんとも妙な具合になるのです。
 私は戯曲の状況のなかへ、自分を置いて、ひとつひとつのせりふごとに、そういうせりふを口にする生身の人間、あるいは生きものの形を、想像しながら、自分の体で感じるようにしながら何べんも繰返して読みます。
 ト書に場所や状況の指定があれば、そういう現実の中に自分がいるものと想像します。郊外の住宅のテラスの籐椅子のたわみや、夕陽をうけて輝く眩しい川を、雷鳴のとどろく嵐の荒野や、頬をうつはげしい雨や風を、自分の記憶や経験をたよりにしながら、想像し、感じようとします。せりふを読みながら、青年達の火照った肌や冴えた眼を、激怒した老王の蒼ざめた額やくぼんだ蟀谷《こめかみ》やふくれ上った血管を、想像し、感じようとします。繰返して読んでゆくうちに、青年達の会話が、言葉をボールにして、テニスのつづきをやっているように思われて、台本には出ていない彼等のテニスの試合を想像したり、老王のすさまじい怒りの声が、嵐や雷鳴をつらぬいて遠い天空の涯《はて》まで響いてゆくように感じられて、これまで一言で他人の運命を思うままに左右しつづけてきた王者の気品のある相貌や、威厳にみちた態度を、あらためて想像したりします。そして私は考えます。この人物達は何をしに来たのだろう、作者はどういうつもりなのだろう、これは一体どういうことなのだろう、と。

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