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中東……
イラン高原から地中海東岸に至る広大な乾燥地帯が、こう呼ばれるようになったのは、いつのことか定かでない。ここは人類の歴史の最も古い舞台であり、数々の豪壮華麗な史実の場でもある。数限りなく散らばる古き遺跡を見る時、人びとはこの地の歴史の長さと共に、その多様さにも驚かざるをえない。
シュメール、アッカドの昔からこの地に侵入し、文化と帝国を築いた民族の数は限りなく多い。エジプトのトトメスや正体不明のヒッタイト、ユダヤのダビデやイランに興ったダリウス、そして偉大な征服者アレキサンダーとそのギリシャ人たち。ガリアとヒスパニアの軍団を率いたローマ皇帝トラヤヌスもまた中東の奥深く侵入したし、東アジアに発したジンギス汗の子孫たちも永くこの地を支配した。北海の霧の中からやって来たキリスト教徒たちでさえ、この地の一角に二百年にわたって王国を保っていた。そして中央アジアを源流とするトルコ人は、この中東の大半をごく最近まで数世紀にわたって統治していたのである。
これら偉大な征服者とその帝国は、黙して語らぬ遺跡と栄華と凶暴な物語を残して消え去った。だが、彼らのもたらした数々の影はこの地に留まった。今日の中東は、世界最長の歴史と最多の要素を、烈日の灼熱の中に溶し合った土地である。
この地に二十世紀は、もう一つの要素を追加した。限りない富と力を生むどす黒い液体──石油である。この黒い液体は、他のすべての富と力の源泉と同じく、人間に豊かさと便利さとを与え、人間から多くの血を求めた。�アッラーの神の与えたまいし財宝�は、今日の中東のほとんどすべての富の源泉であり、またほとんどすべての悲劇の原因とさえなっている。石油と共に、永く眠り続けていた中東各地の多様な要素が、掘り起こされたからである。
新聞記者の本村英人が、この中東に入ったのは、六月も終わりに近い頃であった。
日本人の常識では中東の中心はカイロだ。本村英人の新聞社もここに中東総局を置いていた。本村の中東の旅も、当然のようにこのカイロから始まった。
だが、この街には情報は少なかった。エジプトでは、人と物の出入りがきびしく管理されているので、情報をあさる商人も、それをもたらす情報ブローカーも多くはない。それに第一、この国には石油がほとんどない。
本村は丸三日間、総局長に連れられて、日本大使館やジェトロ事務所、商社の支店、それにアル・アハラムなどの現地新聞社を回ってみたが、出発前に日本で仕入れた知識以上のものは何一つつかめず、ただピラミッドの壮大な姿とナイル名物ハト料理の味の印象を得ただけであった。
本村が次に訪ねたベイルートは、全く違っていた。
キリスト教会と回教モスクが共存し、ヨーロッパ人とユダヤ人とアラブ人が混在するこの自由都市には、金や麻薬の密売組織の本拠もあれば、中東各地の大富豪の別荘もある。失脚した独裁政権の亡命者もいれば、革命を夢見る政治的投機家も活動している。パレスチナ解放を叫ぶ過激派アラブゲリラの本部も堂々と看板を掲げている。彼らはすべて情報の需要者であり提供者だ。とくに第一級の情報力を持つのは、あらゆる種類の武器商人だ。
もちろん、各国の公的情報機関も、この街に最優秀の諜報員を置いている。アメリカ、ソ連、中国、イギリス、フランス、東西両ドイツ……。アラブ諸国、パレスチナ解放戦線、それにイスラエルの強大な情報網「テルアビブの目」がこの街に主力を置いているのはいうまでもない。
ベイルート空港で、若い駐在特派員に迎えられた本村は、まず常套的な取材活動を始めた。つまり、日本大使館員や商社駐在員など在住日本人の話を聞いて回り、ついで彼らの紹介で、現地の政府要人や財界、言論界の中心人物と会見することである。
日本大使館員も、商社の支店長も親切であり、要領よく情勢を説明してくれた。こうした接待には、慣れているらしかった。だが、その内容は決して満足できるものでなかった。どこで聞く話も全く同じで、時にはゴシップや笑い話のタネまでが一致した。そして結論は、いずれも公式見解と同じだ。どうやら誰か一人が把んだ情報が、日本人駐在員の間でグルグル回っているらしい。
中東における日本の情報能力は、官民ともに低い。日本には、一部の推理小説作家がおもしろおかしく書くような、強力な諜報機関など存在しないのだ。このため日本は、中東問題に関してはNATO諸国の情報交換組織、フェニキア・コネクションにも加えられていない。独自の情報能力がゼロに等しい日本を加えても、欧米諸国にとって得るところがないからだ。世界に冠たる日本の総合商社も、金取引とか武器輸出とか、諜報活動の不可欠な分野には全く手をつけていないのである。
ベイルートに着いて二日目の夕方、本村は、全く別の取材を試みることにした。
本村は、トランクの底から淡青色の封筒を取り出した。それは、寺木が、金貨や美術品の収集を通じて中東の情報ルートにも知り合いがいる、という関西の実業家から取り寄せてくれた紹介状だった。封筒の表には、「与座波朝親殿」という宛名が、裏面には紹介者の鴻森芳次郎の名が、墨鮮やかな南宋流の書体で記されていた。
「アロー」
本村が、紹介状に書かれてる電話番号を回すと、妙なアクセントの返事が、受話器から飛び出して来た。
「もしもし」
本村は、日本語で話したいという意思表示のために、そう呼びかけた。
「ああ、与座波ですが」
相手はすぐ日本語に切り換えた。
「大阪の鴻森芳次郎さんから紹介された本村……」
「ああ、聞いてます。フェニキア・ホテルにお泊りね。八時にそちらへ行きます」
与座波朝親が、ずんぐりした短躯を現したのは、正確に八時ちょうどだった。
「中東に来て十八年になるよ。はじめはカイロ、それからダマスカスとアレッポに三年ほどいたね。バグダードにも住んだことあるよ、しばらく……。旅行、そりゃ多いよ。年に四ヵ月は旅行だよ。あなた運がいい、またもうすぐ出かけるからね」
与座波の顔は、砂漠のほこりと灼熱の陽が浸み込んだように黒く、髯の剃り跡が日本人とは思えぬほどに濃い。
与座波は、本村をホテルのダイニングルームに誘い、勝手に酒と料理を注文した。
「本村さん、ここで大いに飲むことよ。これから回教徒だけの国へ行くと大っぴらに飲めないことも多いからね」
与座波は、アラブ風ブドウ酒、ネビーズを本村に勧め、そしてそれ以上に自分が杯を重ねた。
「日本人にはあまり会わないよ。古い友達が来た時くらいね」
彼は、中東にいる日本人の情報力の不足を盛んにこきおろした。
「第一アラビア語が十分できる人、何人もいない。アラブ人の友達あるのもいない。私は多いよ。ここだけじゃないよ。ダマスクス、バグダード、バスラどこにも私の友達大勢いるからね」
与座波は黄色い歯を見せて笑った。
本村は愉快ではなかった。自慢たらしい話しぶりや、妙になれなれしい言葉遣いが気に障った。
「いまなら金を買うのが一番だね」
与座波はそんな話を切り出した。
「ことしはじめから随分上がったけど、まだまだ上がるよ。美術品、骨董物は安いよ。投げ物いっぱいだからね。だけどいまは買い時じゃないよ」
〈俺を鴻森の手代とでも思っているのか〉
本村は一層不快になった。テーブルの上に並べられた羊肉の臭いも鼻についた。
「どうして……」
本村はつまらぬと思いつつもそう質問した。だが与座波の答は、彼を仰天させた。
「逃げ仕度よ」
「逃げ仕度……」
「戦争が始まるからよ」
アラブ諸国とイスラエルとの戦争が再発するかも知れぬ、という観測はいまも根強い。だが、カイロとベイルートの日本人駐在員や現地の要人から取材したところでは、その可能性はきわめて少なくなった、というのが一致した見方だった。
「いつどこで戦争が起こるんです」
本村は咎めるような口調で質問した。
「もうすぐよ」
与座波は、しばらくの間、大きな漆黒の瞳を、本村の顔に当てていたが、やがて短い手を広げて、いった。
「全部よ、もうすぐ中東全部で戦争よ……」