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翌土曜日の午後三時過ぎ、小宮幸治は予定通りに新大阪駅に着いた。
九月末の空は碧く晴れて心地よい日であった。新大阪から新淀川を越え、御堂筋を一直線に南下するタクシーのドライブも心地よく、小宮の心を明るくした。土曜日の午後で、車の数も減っていたし、車窓に映る銀杏並木も美しかった。この快適さが、昨夜の気まずい寿佐美との別れを忘れさせてくれた。
〈いずれ一週間ほどしたら、詫びを入れてやろう……〉
小宮はその程度にしか考えていなかった。
鴻芳本社ビルは、淀屋橋を越えてからいくつ目かの通りを左に入った細い道路に面して建っていた。この辺りはかつては商都大阪の中心部であったが、いまは道路の狭さと細分された土地所有が禍いして、小さなビルが雑然と並ぶ裏街になっている。その中でも、鴻芳本社ビルは古びた、小さな五階建のビルだ。これが建てられた昭和二十年代末には、おそらく斬新さを誇ったのだろうが、いまでは汚れた壁タイルと不格好な真鋳張りの看板文字がいかにもくたびれてみえた。つまり鴻芳本社ビルは、その場所といい、形や大きさといい、中小個人商社の事務所にふさわしいものだった。
「通商産業省の小宮はん……ああうかがっとります」
ビルの受付にいた老人は、小宮の名刺を透すような目付きで確かめてから、そういって案内に立った。いかにも船場の丁稚が、そのまま五十年ほど年老いた感じの老人だ。
「なんや知らんけど、えらいことですわ」
老人は、一台しかないエレベーターが降りて来るのを待つ間に、小宮にいった。
「だんだん人も増えてきましてなあ。はじめは四階の会議室だけやったのに、この頃は三階の役員室もみな調査の人らが使うてまんねや。そやよって、うちの役員はん、気の毒に、行くとこのうなって応接間に雑居ですわ。そやからお客はん来やはっても通す部屋がおまへんさかい、向かいの喫茶店借り切ってますんやで。えろうものいりですわ……」
老人は、小宮の同情を求めるかのようにぼやき続けた。多分先代から鴻芳に勤めてきたのであろう老人には、未曾有の騒ぎに思えたことだろう。
「こんどばっかしは、若殿はんもちと道楽が過ぎましたなあ……」
老人はエレベーターの中でもなおそういって悲し気な表情を見せた。
だが、三階に入った時、この老人のなげきが決して過剰なものでないことが、小宮にもわかった。そこに並んだいくつかの役員室は、それぞれテーマ別の調査用に当てられていたが、どれもこれもひどく乱れ汚れていた。資料や用紙が散乱し、壁にはグラフや表がベタベタと貼りつけられ、机の上にも床の上にも食べ残しの弁当箱や湯飲茶碗やビールビンがころがっている。そしてその中に、若い研究者たちが長髪、ポロシャツ姿でガヤガヤとやっているのだ。昼の四時というのに簡易ベッドを広げて仮眠中の者さえいた。誰もが疲れた顔と充血した目をしているところを見ると、相当熱心に作業を行っていることはわかるが、家主の商事会社としては耐え難い迷惑に違いなかった。
四階の会議室は、この調査の中枢本部になっていた。そこには数人の若い男たちに混って、雑賀正一と鬼登沙和子がいた。六月に会った時にはエネルギッシュに見えた雑賀も疲れ果て、脂じみた顔が赤黒く変わっていた。だが鬼登沙和子だけは少しも変わっていなかった。彼女はあれ以来ほとんど日曜も休まず、毎日十六時間もこの会議室に閉じこもっているということだったが、青みがかった白い顔と淡い褐色の瞳には、少しの疲れも汚れも見られなかった。
その日から四日間、小宮もまた、この追い込みの猛作業に巻き込まれた。年末の予算折衝の時など、数日役所に泊まり込んで、ほとんど眠らずに働いた経験のある小宮も、さすがに疲れた。ここでの仕事は、時間が長いばかりではなく、休む暇さえなかったからだ。
この間小宮は、梅田のホテルから通っていたが、彼が鴻芳ビルに着いた時にはいつも沙和子が先に来ていた。そして彼が帰る深夜にも大抵彼女はいた。それでいて沙和子は、必ず自宅に帰っているということだった。小宮は、この小柄な年齢不詳の女性に、ある種の魅力と驚異を感じはじめていた。だが沙和子は相変わらず、仕事上の必要事以外ほとんど話をしなかった。
そうした努力の結果、火曜日の夕方には、調査結果を算出できるところまできた。会議室の壁一面に貼られた大きなモデル・チャートには、すべてに数式が記入されたのである。そして翌水曜日の夜、関係者を集めて調査の結果を算出して見せることになった。
その日小宮は思いのほか早く目が覚めた。疲れているはずなのにあまり眠れなかったのだ。
調査結果がどう出るかはもちろん気になった。すべてのデータと数式をコンピュータにインプットして、それをいきなり公開の席でディスプレーパネルの上にアウトプットするというやり方は小宮もはじめてだった。それだけに、どんな結果が出るか、彼には皆目予想できなかったのだ。
だが、彼の気をもませた真の理由は、その結果よりも、これがうまく行くかどうかの方にあった。もし、数式のどこかが、データの一部が間違っていたり、コンピュータのプログラムが違っていれば、衆人環視の中で鬼登沙和子が恥をかくことになるからである。
午前中をなんとなく過ごした小宮は、昼食のあと落ち着かぬ気分で散歩に出た。この日も空は晴れていたが、十月に入った陽は淡く心地よかった。道行く人びとの顔には、まだ夏の名残りの陽焼けがあったが、服装は深い色調に変わり、一段と豊かに見えた。誰もが満ち足りた姿で、楽し気に見えた。
小宮は梅田から淀屋橋まで歩き、川沿いの眺めを楽しんだ後、桜橋まで戻り、再び東へ梅田新道の方に折れた。その時彼はハッとして立ち止った。見憶えのあるものを感じたのだ。
それは小さな画廊のガラス戸に貼られたポスターであった。
「名画即売展示会」という妙に崩した文字の下に、「ルネッサンスから現代巨匠まで秘宝五十点」という注釈がある。そして中央にはカラー印刷の画がついていた。その画に彼は見憶えがあった。それはまぎれもなく、鴻森邸の応接室でみたエル・グレコの婦人像であった。
〈鴻森芳次郎があの絵を売ったのだ〉
そう思うと、なぜか小宮は背筋に冷々としたものを感じた。