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世の中の動きはまた逆転した。日本の「世論」は、明日の重病よりもいま現在の痒《かゆ》みに耐えかねる幼児のように、泣き叫んだ。
一月十九日、止むを得ない場合の臨時バス増発便を認め、そのための燃料の増加配給を行うことになった。二十二日には、それでも不足のところに観光バスを臨時に投入することも追加された。
電車・バスの大混雑から、自家用車使用もある程度復活した。当初、自家用車ガソリンの実際購入量は、全配給切符交付量の六〇%内外と見られていたが、配給切符の九〇%近くまで買い受けられるようになった。切符そのものを買い集めて、たっぷり車を動かす者もあったからだ。
二十日頃から、一部の地方で石油製品の欠乏が訴えられはじめた。まだ、日本全体では四十七日分の備蓄があったが、流通機構の弱い地域に、早々と穴があきだしたわけだ。二十五日、地方通産局限りでは解決し切れず、エネルギー庁に処置を求めるケースが現れた。
東北地方からは灯油の不足を訴えてきたし、中部内陸の諸県からはバス・トラック燃料の軽油が払底したという緊急救援の依頼があった。続いて九州から船舶用燃料の、四国から家庭用ボンベガスの直送を頼んできた。エネルギー庁では、すぐ全国的な石油製品の所在を検討し、比較的余裕のあった東京湾沿岸や瀬戸内の精油所からタンカーや貨車で現物を直送させた。
石油製品の流通のまずさは、すぐ政治問題化し、大臣や政務次官や国会議員は、やたらに細かな数字を知りたがった。
エネルギー庁では、毎日、前日の石油輸入量、出荷量および石油備蓄量の変化を新聞に発表していたが、大臣や国会議員たちは、この程度では満足しなかった。
「いつ、どこに、どこから、どれだけの石油が輸入されたか。いま、どこに、どんな油種がいくらあるか、それが大事だ」
と、政治家たちはヒステリックな声を出した。
この資料づくりを担当させられた小宮幸治は全く閉口した。全国の地方通産局や都市府県と石油会社の本社・支社から、その日の動きを毎晩報告してもらうのだが、全部集まるのは早くて十二時、遅い日には午前一時半頃になる。それを報告書にまとめるには一時間半はかかった。しかもその結果を、遅くとも翌朝十時までに関係者全部に届けなければならないのである。
三十一日、M鉱産神奈川精油所が、原油不足のために操業を停止する、という事態が突発した。
この精油所は昨年九月、重油脱硫装置の増設などのために、十四基の石油タンクを撤去し、韓国のCTS(石油備蓄基地)を利用することにしたところだったが、石油危機の発生とともに、韓国が石油の再輸出を禁止したので、早々と操業不能に陥ったのである。しかし、これも特殊ケースと片づけることはできなかった。あと十日以内に、操業不能になるとみられる精油所が、ほかにもいくつかあったのである。
二月一日の朝、M鉱産神奈川精油所問題に関する会議が通産大臣室で開かれていた。
「もはや、調査とか検討とかの段階ではありません。抜本的な対策、つまり石油の重点配分に切り換える以外に手はありません」
寺木鉄太郎は、末席から正面の山本通産大臣を見据えていった。
寺木が突然、この基本的な問題に言及したのは、多くの幹部たちにとって意外だった。だが、大臣の右隣りにいる黒沢長官は大きくうなずいたし、左隣りの事務次官も平然とした表情でいた。この二人だけは、今日寺木がこうした発言をするのを事前に了解していたからだ。
「この際、石油の精製・流通機構を大幅に縮小・整理して、現在の輸入量に対応したものにすべきだ、と思います」
寺木は、続けた。
「精製設備の半分と流通機構の三分の一を閉鎖し、精製・流通を集中するわけです。そうすれば、これら精製装置や流通タンクの中に入っている石油、約一千万キロリットルが浮いてきますから、これを予備として時間を稼ぎ、その間に抜本的な石油消費節減の体制を整えるのです。もうこれ以外に、方法はありません。しかも大臣、それは急ぎます」
大臣は、虚空の一点をじっと見つめて聞いていた。
「ここに、石油消費節減強化のための実施案が出来ています」
寺木は、数枚の複写紙を綴った資料を大臣の前に押しやった。それは、鬼登沙和子が置いて行った案を基に寺木や小宮が検討を重ねて作り上げたものの抜粋であった。
大臣は、その資料を見ようとはしなかった。
「長官の意見も同じですか」
やがて大臣は、右隣りの黒沢に問うた。
「寺木君と同じです」
黒沢は身を乗り出して、答えた。
「事務次官は……」
大臣は左隣りの事務次官を見た。
「方法と時期にはまだ多少検討の余地はあると思いますが、大筋としては……」
この次官のことばによって、これは、通産省事務当局の総意という形になった。
「みなさんの意見はわかった。今日中に、総理と相談する」
「大臣、少なくとも最初の、第一段階の項目だけは、二月十二日から実施できるようにしていただきたいのです」
寺木は、追いかぶせるように念を押した。
大臣はうなずき、目の前の資料を手にした。その最初の頁には、「第一段階として実施すべき事項」として次のものが並んでいた。
㈰装置産業等短期間の休止の不能なものおよび一部の食料品加工業を除く全工場、事務所、商店その他のサービス業の週三日制(週休四日制)の実施
㈪小・中・高等学校の週四日制、大学および各種学校の休学
㈫タクシーの全廃(緊急用としてハイヤーのみを残す)
㈬牛乳、百貨店商品、その他の商品配達の全廃、ただし新聞は朝刊のみ配達、夕刊は休刊とする
㈭電車・バスの三割削減
㈮マイカーに対する燃料配給の原則廃止
㈯テレビ放映時間の制限強化(一日三時間以下)および看板用照明の全廃、街灯・地下道照明の七割削減
㉀家庭用灯油の配給制の実施
㈷建設工事の原則的全休止