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日期:2019-03-22 22:59  点击:325
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 黒沢修二は目を覚ました。部屋の中はまだ暗かった。モノレール事故の疲労は、そのまま足腰に残っている。まだ、それほど眠ってはいないはずだ。
「あなた、電話」
 妻の寛代が、ベッドの上にはね起きた。その目が、ひどく怯えているのが、暗がりの中でもよくわかった。あの火事以来、彼女は物音に神経質になった。特に夜の電話の音には怯えた。彼女は、去年の十一月の未明にかかって来たあの外務省からの緊急連絡の電話が、自分たち一家の不幸の予告であった、と信じているらしい。
「ああ、俺が出る」
 黒沢は枕元のスタンドをつけると、わざとゆっくりガウンを羽織ってみせた。
「産業政策局長の今泉です」
 相手は、名乗った。
「ああ、黒沢だ。君はまだ役所かね」
 今泉と黒沢とは、同じ年に通産省に入った、遠慮のいらぬ仲だ。二十人近い同期の者もすでにあらかた勇退し、いまなお通産省にいるのは、黒沢とこの今泉ともう一人、中小企業庁長官の長谷の三人だけになっている。
「急なことでなんだが、明朝七時、といってもあと三時間余りだけど、緊急幹部会を開くんで来てほしいんです……」
「また、何事ですか」
 つい十数時間前に山本通産大臣をアメリカへ送り出したばかりだ。大臣不在中は重大な政策決定をさし控えるのが慣例なのに、早朝幹部会を開いて何をしようというのか。
「いや実は、緊急事態なんです」
 電話の向こうでは、誰かに聞かれるのを恐れるように声を低めた。
「僕もいま、聞かされてびっくりしてるんだが、実は……明日からモラトリアムだ」
「そ、そんなバカな」
 黒沢は思わず大声を出した。
「いま、そのための事務次官会議が終わったところだ。間もなく閣議が始まる。明日から少額の個人預金の支払いを除き、金融は一切停止になるんです。関東大震災以来六十年ぶりのモラトリアムが、明日から実施されるんだ」
「そら無茶だ。急に明日からなんて無茶だ。たださえ手形取引が混乱している時期に、モラトリアムなんて無茶だ」
「そらそうだろうが、緊急事態だから止むを得んのだ」
 今泉は、苛立ったようにいい返してきた。
「それにしてもひどい。なぜもっと早く連絡せんのだ。こっちだって業界指導の準備がある。これじゃ、石油流通にも責任が持てんぞ」
「それがそうできなかったんだ。この緊急事態は、昨日の停電で突発したんだ」
 昨日の停電は、東京二十三区のほとんど、つまり日本の�頭脳部分�の全部をおおった。だが、それだけなら大したことはない。半日分仕事が遅れたとか、二、三百万人の人が立往生したとかいってもなんら致命的な問題ではない。重要な施設の大部分は、自家発電機を備えており、業務を続けることができた。
 しかし、かなりの数のビルは、それが必ずしも巧くいかなかった。元々、消防法の規定で、燃料は四、五時間分しか置いてなかったうえ、自家発電機に注意が行き届いていなかったところも少なくなかった。発電用燃料が古くなったり、汚濁していたところもあれば、いつの間にかそれを暖房用に抜き取られていたところもあった。電源担当者が辞めたり、休んだりして、いなかったところも珍らしくなかった。
 これも、一般のビルやホテルぐらいなら大した問題はなかった。だが、こうしたなかに、大銀行のコンピュータ・センターが含まれていた。電圧の異常低下とそれに続く停電の間に、某市中銀行のオンライン用中枢コンピュータが狂ってしまったのである。
 すべてが数値化されているオンライン・システムでは、わずかな狂いが致命的な結果を生む。コンピュータのパルス一つのずれで、支払いが入金になったり、当座預金口座への払い込みが普通預金の同番口座に入ったり、何万円かの払い出しなのに十億の桁に数字がついたりする。この銀行では、預金通帳記録も、手形・小切手決済も目茶苦茶になってしまった。
 しかも停電が起こったのは、午前中の手形・小切手決済が、全国の支店から東京のコンピュータ・センターに集中的に送られていた時間だった。誤記数は数万件に及ぶと見られた。決定的だったのは、この銀行が極度の中央集中制を採っており、東京のセンター以外に集中記録がなかったことだ。あまりにも中央集権化が進んでいる日本の弱点を、この市中銀行は象徴的に暴露した。
 銀行が事故に気づいたのは、停電回復後、この日の決算を始めた時、膨大な数の支払い手形に、預金不足のマークが打ち出されてからだった。銀行内部は大騒ぎとなった。だが、内部の異常事を秘密にする金融業の慣習的本能として、銀行は当初、これを、隠密裡に自力で処理しようとした。だがそれは無理だった。たった一晩のうちに、百万以上の口座を各支店の端末器記録から改めて引き出すことは不可能だ。その日の取り扱い分だけでも不可能に近いが、誤った記録が入った方を捜すのには、全口座を洗い直さねばならないのだから、絶望的だった。かといって、このまま明日の営業を始めると、何千もの企業が不渡手形の通告を受けたり、何万もの預金者が巨額の預金残高を記載されたりしてしまう。
 結局、銀行は、異常事態の発生と一週間の営業不能を大蔵省と日本銀行に通知せざるをえなかった。それは、もう夜の十一時に近い頃だった。
 午前一時、大蔵省に、次官、銀行局長、理財局長、国際金融局長、それに日本銀行の総裁や理事たちが集まった。この予想外の事態に、誰もが茫然自失の体だった。ただ、一行だけ休業させるわけにはいかない、という点では、意見が一致した。一銀行だけ営業停止すれば、当該銀行の取引先だけが支払い不能になり、連鎖反応を起こして金融体系を崩してしまう。国民全体が不安に戦《おのの》いているこの時期に、それが預金者の取り付け騒ぎに発展し、全金融機関に波及することは間違いない。
 コンピュータが回復するまで、当の銀行だけ預金通帳を手書きにすればどうかという案も出た。この場合は、小切手や手形、それにオンライン・ネット式の預金引き出しについては無制限の支払いに応じねばならない。しかし、それにしても秘密が守られる限り、銀行の被害は大したものにはなるまい。預金残高以上に手形・小切手を切っている企業はそう多くはないからだ。だが、急に一行だけが通帳を手書きにすることは預金者にすぐ異常を悟られるに違いない。いやその前に、一万数千人の行員の口からそれは漏れるだろう。第一、明朝までに、全国三百余の支店に、それを通知し、徹底することが不可能だ。
 大蔵・日銀の首脳会議は、議論を繰り返したあげく、この際、モラトリアムに踏み切るべきだ、という方向へ決まった。
 急遽、大蔵大臣に連絡がとられ、関係各省庁の次官と金融担当局長が呼び出された。銀行協会会長はじめ金融・証券業界の代表者も集められた。未明の緊急閣議が開かれた。午前三時五十分、もう議論の暇さえない時間だった。
 午前六時五十分、黒沢修二が通産省に着いた時、向かいの大蔵省のビルは、ほとんどの窓に明りがついていた。北海道から九州・沖縄まですべての金融機関に、モラトリアムの実施とその方法を通知するための活動が行われているのだ。それはまた、諸外国や国際金融機関へも行われているはずであった。
 機動隊員を乗せたトラックが、早朝の街を走った。預金者の騒動に備えて、各金融機関の保護に当たるためだ。そして虎ノ門界隈の銀行では、早くもモラトリアムの実施を告げる貼紙が出された。
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「今般、政府の指示により、預金、小切手等の取り扱いは、当分の間次のように制限されることになりましたので、御了承下さい。
一、普通預金、総合預金の現金引き出しは一口座につき、一日三万円以下とする
一、小切手、手形の支払いは停止する
一、クレジット・カードによる現金引き出しは停止する
一、満期または解約定期預金は、一旦普通預金に繰り入れ、以後一般の普通預金同様の扱いとする」

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