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オイルタンカー特有のパイプの並ぶ平たい甲板は、早春の淡い陽をにぶく反射させていた。
承天丸は、一月にアラビア湾から帰航して以来、三ヵ月もこの大阪・南港のバースに繋がれたままだ。緑川光は、保安要員として、七人の仲間とともにこの船に寝泊りしていた。
承天丸と同じように、運ぶべき荷物のない巨船が、二十隻近くも、狭い南港の泊地に浮かんでいる。どの船にも、動きも音もなかった。対岸には、工場群やアパートの無機的な凹凸が並んでいた。だがそこもいまは、静まりかえっていた。海までが、申し合わせたように静かだった。水は暗く淀み、瀕死の軟体動物のように上下にわずかに震えていた。
「三月八日の正午か……」
大型の防水時計を見て、緑川はつぶやいた。航海中は毎日のように、船の位置に合わせて動かしていた針も、いまではいじる必要がなくなっていた。
「本店で在船証明もろていったら、港の物品給与所でお米を十日分だけはもらえるそうですわ」
近寄ってきた通信士が報告した。この船上でも、陸の「米騒動」が伝わっていた。
「それから本店の船舶課長ところへも寄ってほしいというてました」
そう通信士はいい添えた。
「よし、それじゃ俺が行ってやろう」
緑川が大阪港の中央突堤に近い船舶物品給与所に着いた時はもう五時近かった。同じ大阪港といっても、承天丸の停泊している南港と、この中央突堤とはかなり離れている。普段ならランチの便があるが、いまはそれもない。緑川は承天丸から小一時間もボートを漕ぎ、バスや地下鉄を乗り継いで、西区の本店へ出て、さらに地下鉄でここまでやって来た。
本店で、緑川は、船舶課長から、承天丸が近く廃船になるという話を聞かされた。
船齢十六年の承天丸は、まだ五、六年は十分使えるのだが、いまは使い道がない。石油危機が終わったとしても、日本の場合、この石油危機で受けた打撃から国民生活と産業が立ち直り、石油需要が旧に復すには数年かかるだろう。当分の間タンカー船腹は大過剰であり、承天丸のような古い船が働く場所はありそうもない。この際、廃船にしておけば固定資産税や停泊料、それに保安要員の人件費や船内宿泊費など、かなりの経費が節約できる──本店の船舶課長は、こう説明した。
「君たち正社員の身分は会社が保証する。君には支店の課長級のポストを捜しているから安心してくれたまえ」
と、船舶課長はいい足した。
だが、緑川は少しも安心できなかった。彼は、自分の人生が、いま音をたてて飛び去っていくような気がした。彼は海が好きだったのだ。
緑川は、受け取った米袋と雑品の入った買い物袋を引きずるようにして歩いた。もう六時近かった。灯火の乏しい夕暮の街に、珍しく赤い灯をつけた店があった。緑川はつい店のドアを押した。帰りのことを考えて、酒は少量に止めた。勘定はびっくりするほど高かった。
緑川が、住之江に戻るために乗った地下鉄が、花園町駅で停止した。八時過ぎだった。ちょっとした事件が起きたからここで停止する、というだけのアナウンスがあり、乗客は降された。
重い荷物をかかえて、腹立たしかったが、南海電車に乗り換えれば帰れぬことはなさそうだし、面倒なら泊ってもいい、という気楽さがあった。
〈火事だな〉
地下鉄の駅を出た時、緑川は思った。
大勢の男女が、車通りの途絶えた道に群がっており、その先にそれらしい状況が感じられたからだ。緑川は何気なくその方に歩いた。火が見えないのに、人数の多いのと、叫び声の騒々しいことに、彼はまだ気づかなかった。承天丸の廃船処分と陸上勤務への配置換えの話が頭の中に残っていて、注意力を欠いていたのである。彼は事の真相を知る前に、事件の中心地点にかなり近づいており、物凄い数の群衆に取り囲まれていた。彼の前で、突然群衆の輪が崩れた。人間の奔流が殺到した。
汚れた服装と汚れた顔の人間の群れだった。目は血走り、頬は引きつり、口々に何事かを大声に叫んでいた。拳を振り上げている者も、棒切れを振り回している者もいた。
不意を突かれた緑川は、この激流に巻き込まれた。二十キロの米袋のため、行動の敏捷さが奪われた。彼は電柱に押しつけられた形で、米袋をかつぎ上げたまま、叫び声を上げながら走る人びとを茫然と眺めていた。その時、横あいから激しい勢いで一人の男が突き当たり、路上に転がった。
「この野郎」
男はわめきながら立ち上がると、緑川にしがみついてきた。乱れた長髪の頭に汚れたタオルで鉢巻きをした、青黒い頬骨の目立つ小男だった。
緑川は左手の雑品袋を捨てて、この襲撃者を押しのけた。
「こいつ、海上自衛隊か」
男は顔を歪めて、叫んだ。緑川の船員服がそう見えたのだろう。
「自衛隊が来やがった」
何人かの目が緑川に向けられた。
「違う、俺はただの船員だ」
緑川は、そう叫ぼうとしたが、それより早く、男はまた跳びかかってきた。緑川は肩の米袋を胸元にかかえ直し、左手で男の胸を強く突いた。男の身体は不思議なほどに軽く吹っ飛んでいた。だがその時、この小男が決定的なことを叫んだ。
「こいつ、米を持っとるぞ」
緑川は慌てた。群衆の外に出ようとあがいた。だが遅かった。彼の身体は引っ張られ、押され、そして米袋を胸の下に隠した形で倒された。
拳と足と石と棒が、緑川の全身を襲った。鼻に強い臭いを感じた。あの日、アラブ首長国連邦の石油タンクが炎上した時にかいだ臭いに似ていた。次の瞬間、緑川は目に赤い火を見た。それはアラビアの砂漠に沈む夕陽のように思えた。
この日、大阪西成の「愛隣」地区で発生した事件は、大規模なものに発展していった。
かつて「釜が崎」と呼ばれたこの地区は、古くから簡易旅館や安い飲食店が軒をつらねる、貧しい人びとの集まる場所であった。この街の住人たちの多くは、建設関係や港湾関係の仕事に従事していたが、いまでは完全な失業状態だった。そこへ、職場と住居を失った人びとが新たに大量に流入し、この三ヵ月間にこの地区の人口は二倍以上に膨れ上がっていた。
この地区には、すでに二月はじめから、終戦直後に似た光景があった。きわめて粗末な食物を売る屋台が現れ、簡易旅館は物凄いつめ込みになり、入り切れぬ人びとは、空地に焚火などをして野宿せざるをえなかった。善意とペーソスに満ちた貧しくも気安い庶民の街の雰囲気に代わって、やり場のない怒りと欝積した不満が殺伐な空気を作った。
三日前に始まった「米騒動」は、この街に致命的な打撃を与えた。この街の食堂の多くが、お米不足のため休業しだしたのである。
人びとは一食を求めて、なお営業している食堂に長い行列を作った。だが、そうして得られるものは、著しく粗末な少量の代用食であり、しかも毎日、値段が上がった。このことが、すし詰めの簡易旅館にも寒い夜空の下での野宿にさえも耐えてきた人びとの、自制心を失わせた。
事件は一軒の大型大衆食堂から始まった。ここは、十粒ほどの豆の煮付けの小鉢とモヤシが五本ほど入った味噌汁とお新香との三品定食とか、鯨肉のどんぶりとかを出す、この地区特有の安直な大衆食堂に過ぎなかったが、ここ数日来店の前には午後三時頃から夕食を求める行列が出来るようになっていた。午後五時の開店時にはすでにそれまでに行列した人びとだけで、この食堂の供給量を上回る人数に達するほどだった。そしてこの日も午後七時前、�売り切れ�の札がかかった時、大勢の人たちが行列に残されていた。
お客の大群と食堂の従業員との間に口論が生じた。しかしないものは仕方がない、という食堂側の主張に、不運な人びとはどうしようもなかった。それでもまだ、諦め切れずに、食堂の周囲にたむろする者もいた。他に行くべき場所とてなかったからだ。
こうした時、食堂の従業員たちが、食事を始めた。空腹な人びとの前で、それは刺激的過ぎた。
「あないにあるやないか、売り切れはウソやぞ」
そんな声が人びとを狂わせたのだ。
食堂の周囲に群衆が集まるのは早かった。食堂の窓ガラスが投石で破られた。一部の人びとは調理室に乱入し、そこに相当量の米や副食物を発見した。飢えと怒りにかきたてられた彼らは、明日のために貯えられていた食物を、売り惜しみと考えて、掠奪した。止めようとした食堂の経営者夫婦を殴打し、従業員を追い回し、外の群衆に�戦果�を知らせた。騒ぎは、別の食堂に飛び火し、人の波はさらにいくつかの食品店や米穀商にも向かった。日用品を積んで通過しようとしたトラックも停められ、積荷が路上にぶちまかれた。少量の食品を持っていた人間も攻撃の対象になった。
事件発生後二十分経って、この地区のマンモス交番から百人ほどの警官隊が出動したが、すでに手に負えなかった。逆に、警官隊の出現が、人びとの行動を一層刺激し、暴動を呼んだ。警官隊は投石に立ちすくみ、路上の自動車はひっくり返されて炎上した。火が彼らの昂奮を高め、店舗への放火を生んだ。
暴動は、一時間後、天王寺方面から新世界、大国町へと広がり、一部は難波近くにまで及んだ。警察と消防は、迅速さを欠いた。機動隊のトラックに十分な燃料がなかったし、消防車も救急車も、燃料不足と路上の群衆とに阻まれて動けなかった。
午後十時、天王寺・弁天町間の国電と、難波以南の地下鉄が全面的にストップし、西成区の大部分が停電、電話不通地区も広がった。城東地区の一部にも、食料品店に対する襲撃や路上自動車への放火が散発し、警察力が分散された。警察は大阪環状線以南に進出できず、愛隣地区のマンモス交番との連絡も途絶えた。
政府は、事態を静観した。というより、暴動が、夜明けとともに収まるまで、手のつけようもなかったのである。結果もまた、その通りになった。午前三時頃から、暴動は次第に収縮し、警官隊に守られた消防隊が進出できるようになった。夜が明ける頃、暴徒の姿は消え、疲れ果てた群衆が路上や公園や空地に坐り込んでいるだけとなった。