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三月十一日、「東京大暴動」が収まって十数時間後、羽田空港では、海津経済企画庁長官を長とする「訪中石油使節団」五十余名が、笑顔でジェット機から降りつつあった。
団員たちは何回も、タラップに並んでカメラに収まった。海津長官は、その都度タラップの中段まで戻って、頭髪の少なくなった頭をそぼ降る小雨に濡らしながら、帽子を振り、笑って見せた。
空港ターミナルビルの前には、日の丸と五星紅旗を飾った、安っぽい舞台が作られていた。その周囲には何台かのテレビカメラがあった。だが、その派手な舞台装置の割には、舞台の前面も空港ビルのテラスも人影はまばらで、千人にも満たないように思われた。
「小宮さん、どうも悪い時期になったね」
A紙の本村英人だった。
「うん、昨夜みたいな大事件が起こるとは、誰も思わんかったからなあ」
小宮は答えた。
「それで具体的成果があったのかね」
すでに二日前に日中共同声明が発表されていたが、そこには肝心の石油援助の具体的数字が入っていなかったのだ。
「あったさ、十日間もいたんだから」
交渉内容を知っている小宮は答えた。
この十日間、昼夜にわたって行われた専門家会議の結果、供給される油種や配船計画まで決定できたことは、日本側にとってありがたかった。
「その成果というのは期待通りだったかね」
「それは期待の大きさによるだろうよ」
小宮はいなした。
使節団のメンバーを乗せた二台の空港バスが舞台の近くに着き、まばらな拍手が起こった。テレビカメラが動き、カメラのシャッターが切られた。使節団員は自らも拍手しながら、舞台に並んだ。子供が何十人も出て来て花束を渡したり、駐日中国大使が使節団員たちと握手したりして、海津大臣の帰国報告の始まるまでに、長い時間が費やされた。
「とくにこの度の石油危機によって、日本人民が直面している窮状に対して、中国は深い同情をもって絶大な好意を示され……」
海津大臣の演説も、両国の友好とか中国側の好意とかを強調する退屈な前文が続いた。
「本年中に五百八十万キロリットルという膨大な原油をわが国に破格の価格で援助することに同意されました。その詳細につきましては、別にご報告いたしますが、これは従来からの輸入分の完全な上積みであります。とくに私どもが感激いたしたのは、その第一便を今月二十日から送り出せるよう中国の労働者、農民のみなさんが昼夜分かたぬ努力をする、と約束されたことです」
「五百八十万キロリットルか……」
本村がちょっと失望したようにつぶやいた。
「そうだ、今年中に五百八十万キロリットルだ」
と、小宮は答えた。
「それで、今月中にいくら来る」
「二十万キロリットルぐらいらしい。とにかく、今年中平均的に来るというからね」
「それじゃ一日たった二万じゃないか」
「それでもいまの中国の産油量から見ると、相当な好意だよ。なにしろ上積み分だからね」
舞台では、海津大臣に代わって、使節団に加わった労働組合幹部が演説をぶっていた。
「五百八十万キロリットルといえば、われわれの家庭で使う灯油罐実に三億二千万個以上であります。しかもそれが、この三月二十日から積み出される。そのためには中国人民は、自らの石油消費を削り、また積み出しのために深夜の残業もいとわない、そういう好意を示されたのであります」
同じ日の午後七時過ぎ、羽田空港に、もう一つ、山本通産大臣を長とする「訪米石油使節団」が降り立った。こちらは、出発の時と同様、ごく地味な帰国ぶりであった。それでも空港貴賓室での記者会見には、四十人内外の記者、カメラマンが集まった。小宮も本村もいた。黒沢修二長官が、あのモノレール事件直後、突然辞表を提出し、それが通産大臣の帰国をまって受理されるはずである。そのことを、小宮は、中国から帰った西松部長に伝え、アメリカから戻った寺木課長にもいち早く知らせねばならなかった。
「今回、アメリカおよびカナダの政府ならびに石油業界首脳と数次にわたり会談し……」
通産大臣は淡々とした口調で、用意したメモを読み、両側に並んだ六人の随員は黙ってそれを眺めていた。
「差し当たり、三、四月の間にアメリカより七十五万キロリットル、またカナダより百万キロリットルの原油を緊急輸入することが決定いたしました。なおこのほかに、従来アメリカが輸入していた南米原油百二十万キロリットルを日本に回してもらうことも決まりました」
「一日当たりにすると、四万五千キロリットルぐらいだね。これで少しは日本の石油事情は好転するかね」
本村が小宮に囁いた。
小宮は、曖昧に笑った。
中国、アメリカ、カナダを合わせて、一日約七万キロリットルの輸入増加は確かにありがたい。だが、それを加えても、日本の石油輸入は一日平均二五万キロリットル内外でしかない。それは平常ベースの三割だ。そして現在の消費量の六割程度だから、さらにきびしい消費節約を余儀なくされることは目に見えている。
一時間後、本村英人は永田町の首相官邸にいた。帰国した通産大臣が取り急ぎ官邸に向かった後を追って来たのだ。
首相官邸はごった返していた。厳重な警戒の門を、閣僚たちや与党幹部が次々と通り抜けた。各紙の記者やカメラマン、放送車も多数集まっていた。明らかに重大会議が行われているのだ。
「いよいよ自衛隊の治安出動らしいぞ」
同じ社の顔見知りの政治部記者が本村に囁いた。
「いや違うよ、警察庁は面目にかけても反対だからな」
横から社会部の記者がいった。
「そうだ、先刻の野党首脳との会談でも自衛隊出動には反対論が強かったそうじゃないか」
と、他紙の記者が大声を出した。
記者の群れが揺れ動き、カメラのフラッシュが光った。与党の副総裁だった。記者たちが、口々に質問したが、副総裁はただ、
「いまは何もいえんよ」
といって奥に消えた。
「閣議に副総裁が呼ばれてるのか」
と、本村が訊ねた。
「いやいま、閣議を中断して政府・与党会談が開かれるらしい。相当思い切った手を打つらしいな」
政治部記者は答えた。
「こら大事だぜ」
急ぎ足でやって来た年配の記者がいった。同じ社の先輩だった。
彼は、声を落としていった。
「先刻の与野党首脳会談で、野党側は与党の提案を全部拒否した、というんだ。大企業中心、産業重視の政策を改めることが先決だ、というんだな。総理困り果ててた、というよ」
「そら、どういうことです」
と、本村は訊ねた。
「とにかくいまやってる石油配分のことだ」
政治部記者は本村の怪訝そうな表情に向かっていい足した。この男も何もわかっていないのだ。
「だけど、これ以上生産を下げたら、モノ不足がひどくなって日本はつぶれますよ」
本村は思わず抗議の口調になった。
その時、また人の輪が崩れた。こんどは与党の参議院議員会長だった。会長は、記者の質問をかわしながら、老人らしい足取りで奥に消えた。
「何か、戒厳令みたいなものを首相は考えてるらしいぞ」
と、誰かが囁いた。
「そういう議決が参議院で通せるかどうかを訊くために、議員会長を呼んだんだ」
別の声が応じた。
本村には、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。それは彼が政治に疎いためではないようだ。政治部の記者たちの話も、まちまちだったからだ。
記者たちが、色めき立った。副総裁、幹事長、総務会長、政策審議会長、参議院議員会長らが出て来た。
「どう決まったんです」
「自衛隊出動ですか」
「米の販売制限じゃないでしょうね」
記者たちから質問が乱れ飛んだ。だが、幹事長が一言、
「まだ何にも決めてないよ」
といったほかは、誰も無言だった。
夜中の十二時近くになった。さすがに記者たちも疲れてきて、今夜は暴動は休みかね、などと冗談をいい合っていた。
その時、「官房長官記者会見」という声がした。記者たちは会見室に殺到した。政治部記者ではない本村は、一番後ろの壁際に、目立たぬように立った。彼は、官房長官が一言発言した瞬間、そんな馬鹿な、と叫びそうになった。
発表は、「内閣総辞職」だったのだ。