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日期:2019-03-22 23:02  点击:323
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 小宮幸治は、この頃毎日、昼と晩とを、日高澄江らのグループと一緒に食事するようになっていた。彼は、配給や買い出しで得たお米などを提出して、役所に住み込んでいる連中の炊く食事のお相伴にあずかっていたのである。
 もはや彼には、公私混同はなはだしいこのグループに対する嫌悪感は全くなくなっていた。若い職員を中心としたこの連中との付き合いには、それなりの楽しさがあった。小宮も時にはマージャンや馬鹿話で夜をふかし、彼らと一緒に役所に泊り込むことすらあったのだ。
 だが、日を経るに従って、ここも小宮には居心地のよいものではなくなってきた。その理由はただ一つ、彼は食べるほどに食糧提供の能力がなかったからだ。このグループには、農家を実家に持つ者もいたし、副食物の買い入れなどの実に巧みな者もいた。小宮も、そんなうまい方法を学びたいとは思ったが、彼らは、この社会での権威と人気の源泉であるノウハウを決して教えてはくれなかった。あるいはそれは、伝授不可能な特異な才能だったのかも知れない。
 このため小宮は、この小さな社会の中で、常に寄食者特有の劣等感を感じざるをえなかった。それは確立した社会の、公認されたヒエラルヒーのなかを、順調に歩んで来たエリート官僚にとっては、はじめて体験する苦しみであった。だが、小宮はこのグループから離れることはできなかった。ここ以外では、ここほどに十分な食事を確保できるところは見い出せなかったからだ。
 この時期、多くの「能吏」がひどく苦しめられた。この世相では、学歴も知識もあまり役には立たなかったし、組織人として重視される几帳面さと細心な注意深さも無力だった。几帳面さは融通性の欠如となり、注意深さは臆病となった。
 通産省でも、エリート官僚の中にも生活に窮するものが少なくなかった。三月はじめに起きた一連の暴動事件のあとでは、政府の権威も通産省の権限も失われ、法令に定められた役所の権力も官僚自身の生活にはなんの助けにもならなかった。いささかでも役得にありつけた役人がいるとすれば、おそらく各地の物資集積所に勤める末端の役人や直接統制取り締まりに当たった現場の官憲たちだけだっただろう。
 何人もの部課長級のエリート官僚が、生活苦という理由だけで、その地位と将来を捨て、地方の役所や農村にある実家に去った。前エネルギー庁長官の黒沢修二も、大臣官房審議官という待機職的なポストと、鴻森芳次郎の提供したマンションを捨てて、信州にある夫人の実家に身を寄せた。だが、地方の実家や姻戚を頼れる者は、少数の幸せ者だった。大部分の者は、自らの不運を仕事の重要性に求め、自分と家族の苦痛を正当化することによって、空想の中に逃避していた。
 小宮と同期の公益事業部の課長補佐、安永博もその一人であった。だが安永の場合は、それが悲劇につながった。四月二十三日、安永夫人は、九ヵ月の胎児とともに世を去ったのである。
 安永夫人が、米屋の行列の中で昏倒したのは、結婚一周年記念日の翌日だった。
 妊娠九ヵ月の彼女には、毎日、五、六時間も米屋や食料品店の前で行列することは到底無理だった。だが、彼ら夫妻はそうする以外に、食物を手に入れる方法を知らなかったのだ。若い役人には高価な闇米を買うほどの貯えもなかったし、新婚早々の夫妻には、物々交換に出せるほどの物もあまりなかったからだ。
 しかも安永夫人は、文字通り生命がけの努力をしたにもかかわらず、十分なものは得られなかった。彼女はすでにかなりひどい栄養失調と貧血症に冒されていた。そのうえ彼女は、昏倒したまま長時間路上に放置されたことも悪かった。行列の順番を失う危険をおかしてまで、他人のために救急車を呼ぼうとする者はいなかったのだ。
 役所の同期入省者を代表して、葬儀に参列した小宮は、その粗末さに驚いた。病院の死体置場で粗末な木棺に入れられた遺体は、他のいくつかの棺とともに、警察のトラックで市の火葬場に運ばれ、そこにいた宗派もわからぬ僧侶に三分ほどの経を上げてもらった。それが、この不幸な女性とその胎児の葬儀のすべてだった。
「安永さん、お宅は二十八日の午後三時にお骨を取りに来て下さい」
 火葬場の職員は一枚のカードを渡した。燃料不足と死亡者の増加で、遺体焼却の順番まで四日もかかる、ということだった。
 だが、葬儀の簡略さも同種の棺の多さも、人の悲しみを減ずるものではない。
 妻と子とを失った若い男の嘆きは大きかった。安永は、仕事に熱中するあまり、妻の苦しみを顧みなかったことを、ひどく悔んだ。
〈もし俺が彼の立場にあって、新婚一年で身重の女房をかかえていたら……〉
 と、小宮は想像してみてぞっとした。
 だが同時に、
〈彼女ならなんとかしただろう〉
 というつぶやきが、心の内のどこかにあった。小宮は、自分の妻として特定の女性を置いていることに気づいた。それはまぎれもなく須山寿佐美であった。そしてどう考えてみても、そこにあるべき女性は、寿佐美以外にはありえないように思えた。
 小宮が、この葬儀から役所に戻りついた時、彼の汚れた机の上に一枚の紙片が置かれていた。それに書かれた走り書きを見て小宮は驚いた。
 「近く父の郷里へ行きます。
       さようなら   寿佐美」
 ただそれだけの文字があったのだ。
 
 四月末の夕方、小宮は青山の須山家を訪れた。
 七ヵ月前には、新しく堂々と見えた十階建のビルは、ひどく汚れていた。窓ガラスにはビラが貼られ、そこから突き出された赤旗が色褪せて揺れていた。そして須山家に通じるエレベーターに入る通用口は堅く閉ざされていた。
 小宮は六階の、須山企業グループの総本社に当たる須山不動産の役員室を訪れることにした。そこには、寿佐美の父親、源右衛門がいるはずだ。
 だが、階段を昇りだした小宮はすぐ不安になった。階段も廊下も事務室も、照明一つついていなかったからだ。ビル全体が廃墟のように静まりかえり、書類や什器が散乱していた。
 しかし小宮が六階の廊下の突き当たりにある「社長室」のドアの前に立った時、内部に人の気配がした。
「だあれ、何か用……」
 小宮の背後で、声がした。
 ボサボサの長髪の小柄な男であった。
「須山社長はおられませんか」
「あんた社長の何かね」
 男は用心深い目つきで、小宮を頭から足元まで眺めた。
「ちょっと知り合いのもんで……」
 男の友好的とはいえない態度に警戒して、小宮は答えた。
「社長なんかいねえよ」
 男は、ドアを開けた。
 部屋には、十五、六人の男女が敷物の上にたむろし、汚れた夜具や煤けた七輪や食器類やらがその間に散在していた。
「あんた何も知らんのかね」
 男の顔からは、最初の敵意が消えていた。そして、小宮が部屋に入り込むのを妨げはしなかった。
 須山不動産とそのグループは、一月末に倒産していたのだ。住宅地もマンションも売れず、銀行融資も途絶えたため、建設会社や地主に振り出した手形が落とせなかったのである。
 源右衛門は、中部地方にある個人所有の山林を売却して給与に当てようとした。しかし、その山林は、燃料に窮した付近の住民が、あらかた伐り尽していた。会社の者からその話を聞いた源右衛門は、怒り狂い、一人で現地へ赴いた。三月はじめのことだった。それ以後、消息が全く途絶えている、という。
 社員の散るのは早かった。社員の大部分は給与の残金や退職金を諦めた。結局、いまこの部屋にいる十数人だけが、資産処分のあとの先取特権を当てに残っている、というより仕方なくこのビルの中に住み込んでいる、というわけであった。
「それで、ご家族はどこへ行かれたんで」
 小宮は寿佐美のことが気になった。
「知らねえな」
 長髪の男が冷たく笑った。
「なんでも関西の方らしいけど、よく知らんよ」

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